2010.10.3[Sun]
「存在しているが見えないもの」
それは非常に手探りだが、まるで「昼間の月」や「夜の太陽」のようにいつも何かしらの手応えを残してくれるものでもある。それは自分自身の内面にも言えることで、存在者のなかでの存在とは一体何なのだろうかということが制作において非常に重要な位置を占めているように思う。「創る」という作業は生きるための原点の構築なのかもしれない。
そういった意味において、こどもの頃の遊びというものは本当に不思議な体験であると思い返してしまう。目的であり同時に理由であるような、そのような存在の原点…をどこにも持ち得ない行為ではないか…と感じてしまう。
小学生3年頃、近所の友人総勢10人ぐらいで落とし穴を作ったことがある。それは本当に発作的に始まったものであり、最初から落とし穴を作る目的で作ったのか、何の目的もなく穴を堀り始めたのが結果的に落とし穴になったのか…作った動機は今は分からない。その穴の大きさは本当に巨大で、大げさではなく小学生の身長であればスッポリ落ちてしまうようなもの。作った場所は恐れ多くも小学校のすぐ側の河原だった。その程度であればまだ可愛いものかもしれないが、ただ、それは単なる「落とし穴」から「恐怖の落とし穴」へ変貌する序章に過ぎなかったのだ。ひたすら穴を掘り下げた後、一体誰が考えついたか分からないが、どこからともなく大きなビニールシート(おそらくビニールハウスから剥がしてきた物)を持ってくる者、そして、これまたどこから調達してきたのか天秤式の肥桶で小学校のトイレ(汲取式)から糞尿を汲んで運んでくる者が現れた。当然反対する者などいる訳もなく、深く掘り下げた穴の底にビニールシートが慎重に敷かれ、その上から糞尿が注がれる。何度も繰り返し注がれ満杯になった後、仕上げに更にビニールシートを敷き、最後に土が丁寧にかけられる。恐怖の落とし穴が完成したのである。表面を靴で押してみる…地面が波打つ様相はすさまじい緊張感があった。そして何とも言えない手応え・達成感がその場を支配する。ただ、こどものすること。完成と同時に飽きてしまい、そのまま放置される運命を辿った恐怖の「存在しているが見えないもの」で、笑えない被害者が出たか否かは今となっては分からない。時空を超えて祈るばかりだ。
非常に馬鹿げたメッセージとなってしまったが、制作というものは何故かこの感覚に近いものが必要だと本人は意外にも真面目に考えているのである。

こんな局面に何故か常に勇気を与えてくれるのが以下の実験映像作品たちである。
●パトリック・ボカノウスキー「天使」
 http://www.youtube.com/watch?v=P71Qc_r_RDU
●スタン・ブラッケージ「DOG STAR MAN」
 http://www.youtube.com/watch?v=C_j2leCH7OQ
●ピーター・フィッシュリ&デヴィッド・ヴァイス「事の次第」
 http://www.youtube.com/watch?v=GXrRC3pfLnE



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