2010.12.6[Mon]
「アルベルチーヌへの想い」
ギャラリー健における個展まで残り1ヵ月半を切った。そろそろ今回のテーマ「アルベルチーヌ」についての私の想いをご紹介しておきたいと思う。想いを巡らす期間が長かったせいか、かなり小説の本筋から脱線し自分勝手な解釈も付加されているように思うが…

「アルベルチーヌの置き手紙に隠された秘籥の嘘」
観念の黒い影の不在-トゥーレーヌで息絶えた細かな真実の断片と嘘の事実の無数の錯綜

マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』…
そこにある神秘的な少女が登場する。
彼女の名は「アルベルチーヌ・シモネ」
現実とは裏腹になるか否かが不確定であるような甘美と苦悩を語り手(プルースト)に残し、
突如トゥーレーヌの地で落馬事故により生涯を閉じてしまう。
彼女は一体何者なのであろうか…
可能な限りのあらゆる思考を巡らせ追跡してもするりとこぼれ落ち遁走してしまう意識。
ここしばらくの間、私を捉えて飽きさせることがない主題であり、
さまざまな想像上の「未知なる世界」をもたらしてくれている。
永遠に解き明かすことの出来ない時の鏡に天降った天使…
ロワール川につたわる雨の滴にも似た瞳に映る確立された調和…
肉体という鎧を失った頭蓋骨の髄の染みの絶叫…
存在しない空間を指し示す封印された白き羅針盤…
カペー弦楽四重奏団の錆びた弦が奏でるベートーヴェンの弦楽四重奏曲…
今回の個展は、この「アルベルチーヌ」の永遠の熟睡のなかに透かし見た沈殿物(イマージュ)を掬い取ってみようという試みである。
ただ、真実と嘘が錯綜するアルベルチーヌの置き手紙は、軋む窓の向こう側に永遠の不在の足音や深い吐息を響かせるだろうが、
夥しい汗が滲むプルーストの拳に「真実」という名の箱を開く鍵=「秘籥」が握られることは決してないであろう。

2010.12.1[Wed]
「閉め忘れた鍵」
授業が終わって全ての教科書をランドセルに詰め込み、友人との遊びのことで急く想いを胸に一目散に下駄箱へ。靴を履こうと踏ん張り前屈みになった瞬間にフライング感覚に近い、前方への重力移動が身体を襲う。気付けば目の前に繰り広げられた光景は地面に散乱する教科書の数々。友人達の冷やかし笑い。閉め忘れていた鍵がもたらした悲劇である。どんなに願ったところで時を逆再生する巻揚機(ウインチ)はあるはずもない。校庭の乾土と芝生の匂いの中で失笑した色褪せた記憶。

制作をしていると同じような事が起こる。散らかした記憶もないのに散らかっているという事だ。もちろん、自分自身で無意識に引っ掻き回している結果なのだから誰にも文句のつけようがない。しかも制作が終わっても毎回「片付ける」ところまで気力は残っていないし、自分自身の「怠惰」な部分も影響して、日を追うごとにアトリエは酷い惨状になってゆく。ただ、散らかったアトリエは何故か黒ずんだ堆積の間に心地良い「挑発」が浮かんだり沈んだりして見えてくることがある。(もっとも、徹底的な「挑発」に満ちたフランシス・ベーコンのアトリエなどには到底及びもつかないが…)制作はその「挑発」に対して釣り糸を垂れるような感覚がある。引きがあれば巻揚機で引き上げてしまうといったところ…。ただ、何が釣れるのかはいつも分からない。とんでもない大物を期待するのみである。
本当はきちんと整頓された洒落たアトリエで制作したい…とも思う。だが、どうもそれは叶わない夢か…。現状、素材として集めたガラクタや動物の頭蓋骨などが散乱…
「鍵」はずっと閉め忘れたままのようである。

昨日11月30日、何故か突如としてジョルジュ・ドンのことを思い出していた。ジョルジュ・ドンは映画「愛と哀しみのボレロ」に出演したバレエダンサー。調べてみると何と「命日」当日だったようで驚く。このようなことが今年5月頃から頻繁に起こるようになってしまった。予知夢が実際に起こってしまったこともあり、あまりに多過ぎて本人も怖いくらいなのである。

「愛と哀しみのボレロ」
http://www.youtube.com/watch?v=jBrzDYpJjco



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