2011.2.14[Mon]
「小さな奇跡」

前回のメッセージでアップした「ヘルメス・トリスメギストス」のモザイク画はイタリア・シエナにあることは既に紹介したが、今回の話はこのシエナの地から派生する。

シエナの聖女カテリーナ(1347年3月25日〜1380年4月29日)の「奇跡」についてである。

最近このメッセージ上で登場するカトリーヌ氏のことではなく本家本元の方である。ちなみにカテリーナはカトリーヌの伊語発音(カトリーヌは仏語発音)である。少々お読みいただくのに困惑なさるかもしれないので、本家本元の方には「聖女」と付加することにする。

聖女カテリーナはシエナの裕福な染物屋の子として生まれ、16歳の時にドミニコ会在俗会員となる。彼女の生きた時代は、敬虔なる異端者ともいうべき集団が続々と出現し、教会が彼らとの闘争に明け暮れた頃である。またローマとアヴィニョンにそれぞれローマ教皇が立ち、カトリック教会が分裂した「教会大分裂」に差し掛かる時代でもある。聖女カテリーナはそうしたイタリアの政治的分裂を収めるためには教皇のローマ帰還が重要であると考え奔走するが、結局イエス・キリストと同じ33歳で生涯を終えるまで和平案を実現することはできなかった。

聖女カテリーナの「奇跡」というのは、彼女が亡くなった時に起こったものである。ウルバヌス6世に召喚され、宮廷滞在していたため生涯を終えたのはローマの地であった。シエナの人々は聖遺物として聖女カテリーナの遺体を欲しがったが、遺体全てを運んで検問を通過するのは不可能であった。そこで頭部のみ切り離し鞄に詰めて持ち帰ることを決行するのである。聖女カテリーナの頭部は、ローマ城外に出る際の衛兵による検問を通過。無事シエナの地に運びこまれたのである。何故、無事に検問を通過できたのか…そこに、聖女カテリーナの「奇跡」がある。その検問の際、衛兵が鞄の中に見たものは聖女カテリーナの頭部ではなく、たくさんの薔薇の花びらであったというのだ。

どうしてこのような話になったのかと言うと、実は昨年末、この逸話を想起させる「小さな奇跡」が実際に起きていたのである。イタリアからカトリーヌ氏の元に、百合の花と薔薇の花(どちらも聖女カテリーナの象徴)が旅してきたのである。百合の花と薔薇の花…この組み合わせも偶然の一致。その詳細はここでは省略するが通常ではあり得ない話なだけに、私はまたもや運命のようなものを感じてしまったのだ。

その出来事は、今回のギャラリー健での個展「アルベルチーヌの置き手紙に隠された秘籥の嘘」において私にも「小さな奇跡」として現れたのである。私は今回の搬入時、出来るだけ多くの作品を持ち込んだ。展示する作品の目星は大方つけていたものの、その最終的なセレクションは現場対応。大方飾り付けが終わった段階で、ふと私はひとつの旧作に目がいったのだ。瞬間アッと思った。閃きのようなものであった。そして既に設置していた作品と急きょ入れ替え展示したのである。どうしてもっと早く気付かなかったのか…という想いもあったが、それ以上にそれを発見した喜びの方が勝ってしまった瞬間であった。それが、今回アップした画像の薔薇をモチーフとした版画作品である。

私にとっての作品制作・展示空間をつくるということは…つまり、そういうことなのだ。日常にある「小さな奇跡」をいつも見逃すことなく感じていたいのである。宇宙やサンタンジェロ城や大天使ミカエルなど壮大なものにモチーフを求めながらも、私の追い求めているものは至ってシンプルなもの…私に関わる人の想いや奇跡である。ひとつひとつの「奇跡」はとても小さなものかもしれないが、それが心と心を飛び越えて連鎖していった時、私は何か言葉にならないような素敵なことが起こる気がして仕方ないのである。

※現在、聖女カテリーナの頭部はシエナの聖ドメニコのバシリカに、それ以外の部分はローマのサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァに安置されている。

2011.2.13[Sun]
「賢明なる異教徒の預言者ヘルメス・トリスメギストス」

最近、困ったことにメッセージ内容が松澤氏・カトリーヌ氏のオンパレードになってしまっている。
だが、私自身のことを書くよりはるかに面白いし、メッセージを書く私は逆に話題に困らないから、しばらくこの流れに身を委ねてみるのもいいのかもしれない。うれしい悲鳴というやつか。早くも「他力本願」…だが、この他力本願は時として本当に面白いように事が運ぶのだ。こうして私は、序々に彼らの「秘密」を暴露してゆくことになるのだろう。だが、その「秘密」…本当に私に解き明かせるのか?まさにアルベルチーヌの秘籥(秘密を解き明かす鍵)の嘘…がここにも存在するのだ。

さて、今回は神秘・錬金術の文脈に登場する「ヘルメス・トリスメギストス」の話。何とも読みづらい名前…私はこういった名前を覚えるのが大の苦手である。何故、この「ヘルメス・トリスメギストス」にイメージが派生しているかと言うと、松澤氏からのメール内容がきっかけである。彼は今、バッハ以前の西洋音楽「古楽」の成り立ちを少しずつ探りながら、特に14世紀後半のイタリアの作曲家フランチェスコ・ランディーニの音楽を胸に「ルネサンス期」そして海の向こうの「オリエント」へとイメージの旅をしているのだ。

以下、松澤氏から頂いたメール内容(抜粋)である。承諾を得てあるのでご紹介しよう。

………………………………ルネサンスについて、それは常々「人間復興」の運動であったと教科書的に説明されることに対して、私は違和感を抱いてきました。キリスト教(ローマ・カトリック)によって支配されてきた暗黒の時代に光をもたらすためには、それなりのカウンターカルチャーの流入があって然るべきであろうと考えるからです。
そう確信しながら調べていく内に、ルネサンスと呼ばれた時代とは、実はかつてキリスト教によって異端とされ抹殺された「秘教」が再び息を吹き返した時代として見えてきたのです。その「秘教」とは「ヘルメス文書」を起源とする錬金術や神秘主義、占星術や自然魔術といったある種のオカルティズムにも通ずる要素を多分に含んでいる思想です。
これらの思想は古代エジプトやメソポタミアに端を発し、古代ギリシアの時代にヘレニズムとして開花します。アレクサンドリアの大図書館はその集大成とも言えるでしょう。この古代からの叡智を破壊したキリスト教によって、ヘレニズム思想はイスラム帝国およびビザンティン帝国へと逃れてゆき、現在のバグダッド付近に「知恵の館」として保存されることになります。この図書館には40万冊以上の蔵書があったと言われています。ギリシアの知恵はアラビア語へと翻訳され、アラブ世界に大きな影響を与えていきます。
これらの「秘教」が、十字軍の度重なる遠征やコンスタンティノープルの陥落によって逃れてきたギリシア人たちなどによって、ヨーロッパへと還流していくことになります。これこそがルネサンスの始まり。非キリスト教的な思想が、自由の気風を持ったイタリアの都市国家などで「再生」していくのです。
当時の思想はすべての学問や芸術を統合して考えるという方法でした。そこは想像の翼を広げられる領域でもありました。そのために必要だったのが、人類が語り継いできた神話的世界観や魔術的な思考だったのです。科学や医学がこれらの枠から抜け出すのはようやく19世紀を迎えた頃なのです………………………………

今回、私はこの松澤氏のメールを読み「ヘルメス文書」というキーワードに目が止まったのである。そこから「ヘルメス・トリスメギストス」へとイメージが飛んでしまったのだ。こういった寄り道は非常に楽しいものであり、後に思わぬイメージの展開へと繋がるのである。

ヘルメス・トリスメギストスは「三重に偉大なヘルメス」と言う意味。ギリシャ神話のヘルメス神、エジプト神話のトート神がヘレニズム時代に融合。さらにそれらを継ぐ錬金術師ヘルメスが同一視されて称されるようになった。古代アトランティスの王として3226年間の統治。36525冊の書物を書き残したと言われ「ヘルメス文書」や「エメラルドタブレット」の作者とされている。

ちなみに、「ヘルメス」とは言うまでもなく、ギリシア神話では魂を冥界に導く者として知られている。ジャッカルの頭部を持つエジプトの神アヌビスと同一視され、エーゲ文明の大地母神の蛇・配偶者のひとりでもあった。ヘルメスのカドゥケウス(杖)はローマのメルクリウス神のカドゥケウスと同様に大いなる錬金術と医療のシンボルであり、現在も世界保健機関を始め世界各国の医療機関で用いられている。また、詳しい繋がりは知らないが、カドゥケウスはドラゴンの形態では死の天使ミカエルに倒される蛇でもある。メルクリウス=ヘルメスに捧げられた神殿の多くは丘の頂きに建てられ、その廃墟の上に大天使ミカエルに捧げられた教会や礼拝堂が建てられているのだ。

そして、私の次のテーマ…「宇宙」と「サンタンジェロ城」を結ぶモチーフの世界は、まさに松澤氏の考察する世界の渦中にあるものなのだ。先の松澤氏からのメール内容にもある「秘教」は、まさに宇宙の森羅万象を究めて、人類に医学・化学・哲学・法律・芸術・数学・占星術・音楽・魔術などのあらゆる知識をもたらした。古代、神から人に与えられたすべての宗教に通じる唯一・真実の神学…すなわち「古代神学」がベースになっている訳だ。

話はここで変わるが、昨日、松澤氏が次なるモチーフに関しての貴重な映像資料を発掘し連絡してくださった。そう…「慈悲の鐘」が鳴り響き始めたのである。しかし、字幕なし、全てイタリア語。これはカトリーヌ氏に甘えるしかないではないか。そして、その映像を一目見たカトリーヌ氏にはまたも強烈なシンクロが起きた模様。マテーラの洞窟住居(イタリア・バジリカータ州)が突如として脳裡に浮かんだとのことである。

そのカトリーヌ氏と言えば、ヘレニズム思想の色濃いドバイ(アラブ首長国連邦)の旅から帰ってきたばかり。氏の中でどのような「秘教」が渦巻いているのか話を聞くのが今から楽しみなのである。

それにしても彼らのイメージの沸き上がることと言ったら尋常ではない。メッセージ発信は本当に追いつかない状態で大変なのだ。あまり信じてもらえないが私は本来、文章を書くのが苦手なのだから。しかも学生時代はいかに授業をさぼるか…ということに重きを置いており学食で唐揚げ定食ばかり食べていた身。そういう面で何も知識がないから今になって勉強しなければいけないのだ。私が「白旗」を上げる日はそう遠くない。その際は潔く負けを認めることにしよう。

※ちなみに今回アップした画像はイタリア・シエナのカトリック教会堂「シエナ大聖堂」の舗床に描かれた「ヘルメス・トリスメギストス」のモザイク画である。

2011.2.7[Mon]
「南極-サンタンジェロ城」

1959年1月14日、その日は南極観測隊に同行した樺太犬「タロ」と「ジロ」の生存が確認された日である。松澤氏の「オーロラ」発言以来、その存在が私の脳裡をめぐって仕方ない。
それにしても、松澤氏の「オーロラ」発言は1月13日…前日ではないか。そのことに今、彼は気付いていまい。

タロ・ジロを含む22頭の樺太犬は1956年に第1次南極観測隊隊員と共に南極観測船「宗谷」で南極へ出向き、犬ぞり用の犬として1年以上に渡る南極生活を送る。しかし、1958年2月、第2次越冬隊と引継ぎ交代するはずだったが、長期にわたる悪天候の為に南極への上陸・越冬を断念。その撤退の過程で樺太犬15頭(病気帰国、病死、行方不明、妊娠中の7頭除く)は無念にも無人の昭和基地に置き去りに。極寒の地に餌もなく残された15頭の犬の運命、犬係の二人の越冬隊員の苦悩、そして1年後に再び志願してやってきた隊員の両者が、南極でタロとジロと再会する…

そんな事実に創作を加えて制作・公開された壮大な映画が『南極物語』(1982年)である。白夜の日々、オーロラが発光する闇の日々。タロとジロが過酷な極寒大陸をどうやって生き抜いたのか、当時小学生だった私は強烈な想いを抱いたのである。

ちなみに、この映画の原作となったのは藤原一生著の『タロ・ジロは生きていた』である。この映画の影響もあり、当時藤原一生氏を中心として、剥製(タロ・ジロは死後剥製にされた)を一緒にしてあげようという運動「タロとジロをいっしょにさせる会」が発足。私は藤原氏に手紙を書いたり、小遣いの中から少ないながらも募金をするなどして一時期その運動に参加していたことがある。その後、タロとジロの剥製は、1988年に稚内市青少年科学館での「タロ・ジロ里帰り特別展」で、また2006年に国立科学博物館での「ふしぎ大陸南極展2006」で共に展示されることとなる。現在は北海道大学植物園でタロの剥製が、国立科学博物館でジロの剥製が、再び遠く離れて展示されている。

ここで話は大きく飛ぶが、タロとジロが発見された1月14日は、プッチーニのオペラ『トスカ』がローマで初演された日(1900年)と一致。第3幕は「サンタンジェロ城」の屋上にある牢屋と処刑場が舞台である。以下に紹介するyou tubeの2:39あたりにご注目頂きたい。ホルンのファンファーレ、朝を告げる鐘の音と羊飼いの牧歌の後に幕が上がると舞台の階段部分に羽根を広げ剣をかざした大きな影が突如現れるのだ。「大天使ミカエル」である。私にはこの『トスカ』が、ヴィットリオ・グリゴーロの歌声が、オーロラの光の音に聴こえて仕方ないのだ。

プッチーニ『トスカ・第3幕』
ヴィットリオ・グリゴーロ(テノール/当時13才)のオペラ・デビュー(1990年)
http://www.youtube.com/watch?v=_sPp6BRKimI


また、松澤氏の誕生日はジロの命日と一致することが判明。彼の「オーロラ」発言はただの偶然なのだろうか。彼の人懐っこい笑顔はもしかしたらジロの生まれ変わりなのかもしれない…と思えて笑ってしまう。私はそんな「おふざけ」を言い合いながらイメージの触発をしているのである。

Vangelis『Theme From Antarctica』
http://www.youtube.com/watch?v=QSuq304bWUs


このメッセージを書きながら見つけた偶然…松澤氏もカトリーヌ氏も何かしら新たなイメージを紡いでくれることだろう。他人から見たら何が面白いのかと思われるようなことにも喜んで参加してくれる彼ら…そして、人生の苦楽まで共に語り合ってくれる彼らのことが、私は大好きでたまらないのである。

そして、みなさんの心には、オーロラの光に揺らめく大天使ミカエルがサンタンジェロ城に降りてくる姿が見えているだろうか。
私はここを訪れてくださるみなさまと、こうした生きる喜びや素晴らしさ…そんなイメージをいつも共有していたいのだ。本当に心の底からそう願っているのである。「奇跡」は我々の日常の中に必ず「点在」する。その「点」を共に手を取り合い「線」にして「面」にしていくのである。

心を込めて。



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