2012.11.8[Thu]
『闇夜』

絵を描くという事は幼少の頃から私にとって
大きな意味を持つものであったことに間違いはなかった。
特にそういった家庭環境で育った訳でもなかったし、
一体いつ、どういったきっかけで興味を持ったのか今となっては思い出せない。
ただ、実家には幼い頃に描いた絵のノートが多数残っているはずである。

アニメのキャラクターや自作漫画、パラパラ漫画など好きな題材は色々あったが、
その中でも特に好きだったと記憶しているものは家の間取り図であった。
合掌造りのような複数階の構造の家を横位置から切って描いたもので、
ありとあらゆる用途を持った部屋が備えられ、
そこに暮らす人々が思い思いに過ごしているものだ。
必ず屋根の上にプールがあり、極めつけは牢屋まである。
何故か牢屋は常に家の中心に位置しており、
中に閉じ込められ泣き叫んでいる人を描き込んだ。
同じ絵を飽きもせず何度繰り返し描いたことか…。

思い当たるふしがある。実家には大谷石造りの蔵があり、
悪い事をするとたびたび親にお仕置きで閉じ込められたのだ。
蔵の中にはモンスターがいると常々教えられており、
それは正体不明の闇夜のような怖いイメージを私にもたらした。
モンスターは暗闇なのだ…勝手にそう信じて疑わなかったし、
親の口から「モンスター」という言葉が出る度に、
私は必ず暗闇に視線を向けたのだ。

その時の記憶は今も色褪せることなく私の中に染みついている。
それにしても「闇」を直視した幼き頃の記憶というものは
何故にこんなにもリアルな存在感に満ちているのか。
一体そこに何があるというのだろう。

子どもの頃の私は重力が入れ替わり
天地逆転した世界を妄想することが多かった。
床が天井となり、自分は天井に立っている。
少々の混乱の中、家中を徘徊。
思わぬ段差を乗り越えながら部屋から部屋へと移動する。
電灯は下から上に向かって立ち上がり、
頭上にあるテーブルや家具は今にも落ちてきそうだ。
鏡の中に映る世界は更に左右反対の複雑な要素が加わり、
鏡面の淵の緑色の数ミリの厚みを長い事眺めては恨めしく思ったりもする。

さまざまな部屋を移動し尽くしたら、最終的には玄関から外に出ることになる。
そこにあるのは無限に深い空に落ちてしまう危険、そして恐怖と好奇心。
私は近所の駄菓子屋まで向かう決心をする。
壁をつたい歩き地面に移動し、何かしらの突起物にぶら下がりながら
可能な限りのルートを思い描き進んでゆく。
延々と連なる自分自身のあやふやな輪郭。

ちなみに駄菓子屋に辿り着いたことは一度もない。
無限に深い空に向かって落ちてゆく…我に返る瞬間というものは
非常にリアルで、後悔と恐怖が織り混ざったような不思議な感覚。
私はその感覚に呑み込まれないように、
つまり妄想が現実とならないように、必死に振り払う努力を迫られる。

家の間取り図を夢中になって描いたのは
そういった世界への妄想が、ある意味スリリングで心地良かったせいなのだろう。
闇夜のモンスターのような捉えようのない世界がそこにあったのかもしれない。
私にとっての「ジョルダーノ・ブルーノ」は、まさにその感覚に近いものなのだ。

ここで話は大きく変わる。

幼稚園の頃の話である。
ある日、大きな模造紙に共同作業で絵を描いたことがあった。
当時から「絵が上手い」と友人達からおだてられて調子に乗っていたこともあり、
また、私の中にはどうしても完成イメージに対しての強いこだわりがあったため、
ここに何を描く、あそこには何を描く…と全体を仕切っていたはずである。
そんな中でも太陽だけは自分が描くのだという強い想いがあり、
赤いクレヨンで我れ先に描いたのだ。
私の思い描くイメージの軸が回転してゆく。

しかし、満足にひたっていたのも束の間。
ちょっと目を離した隙に、視界の端に黒々とした嫌悪感の固まりを感じ、
同時に怒りがこみ上げた。
私が描き上げた真っ赤な太陽は、友人の手によって
見るも無残に、あるいは見事に黒いクレヨンで塗りつぶされていたのだ。

次の瞬間、教室中に友人の泣き声が響き渡った。
私は先生にひどく怒られたが、
もちろんその時の私は反省など一切する訳がない。
どうしてもこだわりの方が上回っていたから納得できなかったのだ。

ただし、今思えば「黒い太陽」というのは
なかなか得体の知れぬモンスター的な強烈な印象がある。
彼の行為によって一瞬にして光を失い、暗闇と化したあの絵は
一体何を意味するものだったのだろう。
そして、何故友人にとって太陽は「黒」でなければならなかったのか…。
彼はその時、闇夜の中に何かを見たとでもいうのだろうか。
答えは分からぬままだ。



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