2014.9.26[Fri]
『作品』

このドローイングを描いていて、
ふと思い返して小林秀雄を読み返す。

小林秀雄〜『測鉛 T 』より抜粋

人間が見たものを表現しようとするのは、
蜈蚣(むかで)が歩くのに
何の足から動かそうと考えるのと同じである。
蜈蚣は一寸でも動けるか?
若し少しでも動けたならそれが作品というものである。

2014.9.19[Fri]
『個展終了』

本日、個展が終了。
ご来場いただきましたたくさんの方々。
また最大限のサポートをしてくださった方々。
共にあたたかな時間を過ごさせていただいたことを
とても幸せに想います。
ありがとうございました。

今回、私は敢えて、あがきながら制作することを強いてみました。
だからと言って、何ひとつ確信めいた答えに行き着いた訳ではありません。

語弊のある言い方となるかもしれませんが、
今、私は芸術をそれほど価値のあるものだと思っていません。

昔は芸術というものは、自然や人生というものまでも、
明確に描出できるものだと信じていたことがありました。

ただ、その想いは奢りであったことに
最近ようやく気づき始めているようです。

私の創る作品は非常にみすぼらしいということに気づき、
その苦しみをねじ伏せるために、
逆らう気持ちが生まれてしまうことを
我ながら恥ずかしく想えるようになってきているようです。

これが創作の愉しみなのだろう…そう想っているのです。

2014.9.10[Wed]
『ヒダ』

この画像は制作途中の立体作品で、
今回の個展には展示していないのだが、
何故か最近、私はヒダ状のものに惹かれ始めている。

ふと思い出したのだが…
大学時代の恩師、松本英一郎先生の
「退屈な風景」「さくら・うし」と題された風景画は全てヒダで描かれていた。
それはそれは、とてつもなく美しい風景画だった。

私のヒダはきっと未熟で、生み出そうとあがいているだけなのかもしれないが、
高村光太郎の『道程』を読むと、何となく救われる想いもするのである。



高村光太郎 『道程』〜全文

どこかに通じてゐる大道を僕は歩いてゐるのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる
何といふ曲りくねり
迷ひまよつた道だらう
自堕落に消え滅びかけたあの道
絶望に閉ぢ込められかけたあの道
幼い苦悩にもみつぶれたあの道
ふり返つてみると
自分の道は戦慄に値ひする
四離滅裂な
又むざんな此の光景を見て
誰がこれを
生命の道と信ずるだらう
それだのに
やつぱり此が生命に導く道だつた
そして僕は此処まで来てしまつた
此のさんたんたる自分の道を見て
僕は自然の広大ないつくしみに涙を流すのだ
あのやくざに見えた道の中から
生命の意味をはつきり見せてくれたのは自然だ
これこそ厳格な父の愛だ
子供になり切つたありがたさを僕はしみじみと思つた
たうとう自分をつかまへたのだ
恰度そのとき事態は一変した
俄かに眼前にあるものは光を放出し
空も地面も沸く様に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした
そしてその気魄が宇宙に充ちみちた
驚いてゐる僕の魂は
いきなり「歩け」といふ声につらぬかれた
僕は武者ぶるひをした
僕は子供の使命を全身に感じた
子供の使命!
僕の肩は重くなつた
そして僕はもうたよる手が無くなつた
無意識にたよつていた手が無くなつた
ただ此の宇宙に充ちみちてゐる父を信じて
自分の全身をなげうつのだ
僕ははじめ一歩も歩けない事を経験した
かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つところにたちつくして居た
僕は心を集めて父の胸にふれた
すると
僕の足はひとりでに動き出した
不思議に僕は或る自憑の境を得た
僕はどう行かうとも思はない
どの道をとらうとも思はない
僕の前には広漠とした岩畳な一面の風景がひろがつてゐる
その間に花が咲き水が流れてゐる
石があり絶壁がある
それがみないきいきとしてゐる
僕はただあの不思議な自憑の督促のままに歩いてゆく
しかし四方は気味の悪い程静かだ
恐ろしい世界の果へ行つてしまふのかと思ふ時もある
寂しさはつんぼのように苦しいものだ
僕はその時又父にいのる
父はその風景の間に僅かながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を僕に見せてくれる
同属を喜ぶ人間の性に僕はふるへ立つ
声をあげて祝福を伝へる
そしてあの永遠の地平線を前にして胸のすく程深い呼吸をするのだ
僕の眼が開けるに従つて
四方の風景は其の部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に小さい人間のうぢやうぢや這ひまはつて居るのもみえる
彼等も僕も
大きな人類といふものの一部分だ
しかし人類は無駄なものを棄て腐らしても惜しまない
人間は鮭の卵だ
千万人の中で百人も残れば
人類は永久に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類の為め人間を沢山つくるのだ
腐るものは腐れ
自然に背いたものはみな腐る
僕は今のところ彼等にかまつてゐられない
もつと此の風景に養はれ育まれて
自分を自分らしく伸ばさねばならぬ
子供は父のいつくしみに報いたい気を燃やしてゐるのだ
ああ
人類の道程は遠い
そして其の大道はない
自然の子供等が全身の力で拓いて行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出て来ても乗り越して歩け
この光り輝く風景の中に踏み込んでゆけ
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、父よ
僕を一人立ちにさせた父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため

2014.9.8[Mon]
『個展…明日から』

明日から個展が開幕いたします。
今回はコラージュやドローイング、モノタイプ技法による作品も展示。
ご高覧いただけければ幸いです。

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『ユリア・アグリッピーナの鏡匣を斫断する666(NERO)の竪琴和絃』
9月9日(火)〜9月19日(金)
※9/13・14・15は休廊
open 11:00-17:00

SHOP土屋・GALLERY黒豆
〒355-0075
埼玉県東松山市下青鳥186-5
tel.0493-24-0403

東武東上線東松山駅西口より徒歩15分
関越道東松山 I Cより約3分
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