2018.7.25[Wed]
『青き翼』

人々へ送る
わたしの手紙は

足並み揃え
青き翼によって
運ばれてゆきます

心を掃き清め
きらびやかな
衣装を纏いながら
銀河の空の下に
丸い輪郭を描きます

着陸の時を待っていたかのよふに
わたしは天空の予報を振り返り
祈りを捧げます

後ろを振り向くと
エレベーターがあります

其のエレベーターは
想像もつかない
年月の曲線美の望みを
抱いているかのよふです

右を向いた横顔は
とても静かです

壮大な街に出掛けます
聞こえるのか
聞こえないのか
わからないほどの
たくさんの波の谷間のさなかに
天使は現れます

回る車輪のよふな
半球体の平和が
其処にはあります

少しだけ
息が詰まるのですが
其れは此の上なく
美しい世界であることも
わたしは知っているのです

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ブルーインパルス 〜復活の空へ〜
https://www.youtube.com/watch?v=xJSXSDQyhg0&feature=youtu.be

2018.7.24[Tue]
『オフィーリア』

オフィーリアの精神

溺れる前
歌ひながら
川に浮かんでゐる姿

以下、小林秀雄の
『おふえりや遺文』より
一部抜粋

(以下)

妾は船縁から脛(あし)をぶらさげて、
海の水の走るのを見ていました。
妾は何処かに流されて行くに違いない。
他に誰も乗っている人はいないのも解っていたし、
この船は独りでにお魚を食べて動いている事も知っていたし、
妾はもう諦めていた。
……貝殻を重ねたような帆は、
じっと静かに少しも動きません。
船が何処かに流れつかないうちに、
死んでしまうかもわからない、
それは、どちらにしてもかまわないけれど、
ふと見ると、
帆柱のてっぺんから梯子を降りて来る人があります。
よく見ると栗でした。
毬(いが)のない、ただすべすべした茶色の栗が、
ひょいひょいと梯子を降りて来ます。

2018.7.23[Mon]
『背中のある風景』

私たちのもとに
なんと美しいウエストが
見え隠れすることでしょう
首元から肩甲骨
背骨や骨盤など
その心配りは
信仰心を奮い立たせ
常に耳元で囁いてくれる
其れを明確にする訳には
いかないのだが

2018.7.22[Sun]
『心の炎』

再びあの時を
生きられたのなら
まるで鍾乳洞の特権を持つ
あなたに歌ふよふに
喜びと驚きを加えつつ
かがやく光の中を漂ふのです
心の炎を
決して消して終わぬことを
願いつつ

2018.7.21[Sat]
『ホモ・サケル』

いつでも其の風雨を
感じている

ゾーエー(zoe)と
ビオス(bios)

此の暑く
困難な世界に於いて

生の物事の状態を
そのまま保ちつづけること
それを再び生産する
「剥き出しの生」

政治的動物として
人間の「価値ある生」

2018.7.20[Fri]
『麗しい頬』

大聖堂のなかに

異質なものへと
開かれた精神が
鳴るのを聴く

流動性や葛藤や変化を
歓迎する態度

麗しい頬には
その手を捧ぐ

2018.7.19[Thu]
『イタリアの哲学』

イタリアには19世紀後半の
リソルジメント(イタリア国家統一運動)まで
もともと統一国家なるものが
存在しなかった

神聖ローマ帝国の支配に対抗して
都市同盟を結成した『北イタリア』

ローマ教皇が存在した
『中部イタリア』

ナポリ王国やシチリア王国にみられる
歴史が続いていた『南イタリア』

故に
思想も伝統的に
『国民国家といふ枠組み』に
縛られてこなかった

『多くの都市国家』が林立し
さらに『ヴァチカンの勢力』が加わる

そして繰り返されてきた
ヨーロッパの列強の介入の
経験といふ事情

イタリアの思想は
『政治的で宗教的な問題』があった

心の中に相反する欲求が同時に起こり
そのどちらを選ぶか迷うことに
たずさえられてきた

イタリア哲学の中心的な問題は
其の周辺国によく見られる
『観念的で抽象的な問題』よりも

『生や歴史の現実に即した実体を備えている問題』に
関心が向けられてきた

『教会権力や神学の葛藤』が
絶え間なく繰り広げられてきたことについては
言うべくもなく
『異端宣告』を受けて
火刑となった『ジョルダーノ・ブルーノ』を
想い浮かべてみれば良いのである

2018.7.18[Wed]
『ジョルダーノ・ブルーノ』

曲線や直線に従って飛散する
絶え間のない炎
膨大な時間と無限宇宙
麗しき理想の身体美
月の北緯36度
東経103度の純粋気体
燃立つ新星
線の集積は
カンポ・デ・フィオーリ広場の
鎖から放たれて

2018.7.17[Tue]
『現在』

不断に前進する現在
此処には
身体のイマージュが集中する

また身体のイマージュは
現実的表象の一部をなしていて
平面を構成する
全てのイマージュから出現する作用を
受けたり返したりしている

記憶力に蓄積された記憶全体

過去は不動
習慣が組織した感覚

第一には
運動系の総体からなる
身体の記憶力

そして第二には
過去の本当の記憶力

2018.7.16[Mon]
『草がわらわらと』

自然に於いて
此れはしごく
当然のことであるが

草がわらわらと
風にそよぐこととは

『線』を描くということに
繋がるのである

2018.7.15[Sun]
『瞬間と芸術』

『瞬間』とは
いのちが息吹く存在の
類型的特徴である

生命は瞬く間に
花を咲かせる

つまり
私たちが生命の息吹を
見ることを忘れたり
生きることを忘れたりすることは

『瞬間』を生きない生活の有り様を
余儀なくされているからである

だからこそ
『瞬間』を取り戻す技術が
必要不可欠になるのだ

其れが
『芸術』といふものである

『絵画』に於いては
『線』を用いて
自然を捉えよふとするが

自然に於いて
『線』といふものは
不在である

自然の『線』と思しきものは
対象物の『消失点』

芸術家は
其の『消失点の関係性』を知覚、分析、
行動(素描)しているだけのことであり
其の痕跡が『線』である

其処には
塊(マッス)、明暗、
空間、質感などの
あらゆる諸要素が出現する

非常に困難な課題

出来上がった作品に対し
感傷に浸っている暇は
一寸たりとて有りはせぬ

次の『線』を
引かねばならないからである
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『Malena(マレーナ)』
(監督:ジュゼッペ・トルナトーレ)
(出演:モニカ・ベルッチ)
https://www.youtube.com/watch?v=W-YD2Y8ojYE

2018.7.14[Sat]
『ヴァルール(Valeur)』

絵の技術を
ある方法論に結びつけ
頼るのは空しい限りである

自然に存在する
無数のヴァルール(調子)の
鍵盤の上に
指を添えることを
知らなければならない

ヴァルールは影の階段

一定の光によって
絵の中に立体感や遠近、
質感、空気を与える

白は素描のどの面にも存在して平らである
変化のない輪郭を持つ黒は平らである

ヴァルールは
此れらに対して
不思議な効果をもたらす

光の悪戯のさなかに
其れはある

光と影の対照の追求
白と黒の対照の追求

これらの対照によって
絵描きは対象物を観ている

此の作品は
翼を持つハイヒール

2018.7.13[Fri]
『素描』

この作品は
ディエゴ・ベラスケスの
『ラス・メニーナス』から得た印象を
私なりに解釈し変容させ刷り込んだものだ

画面構成の軸にある主要素を見抜き
其れを極端に歪ませ再構築する

『線』は凹部を切り刻むよふに

または箇所箇所に於いて
『線』の明暗反転の切り返しも施す

最終的な仕上げとして
画面全体に偶発的なノイズを幾重にもかけ
余分な要素を削ぎ落とす

神秘不可思議で解明不可能な
過去の記憶のフィルターを通す為にだ

此れが私にとっての
『素描』の有り方である

2018.7.12[Thu]
『呼吸と鼓動』

私の制作の
『線(ドローイング)』には
二種類のものが混在している

其れは巧く
説明は出来ないのだが

『呼吸の線』と
『鼓動の線』が
同時に
存在しているといふことだ

私がこよなく愛する
巨匠達は
幾多も存在しているが

『呼吸と鼓動の線』のバランスが
絶妙な作家ばかりである

私は
この世界の謎を
拙い『線』で
捉えてみたいと願ふ

ここでふと
脈絡なく
想い出したことがある

探検家・人類学者・外科医でもある
『関野吉晴』氏のことである

人類発祥の地
アフリカから
祖先の拡散の足取りを
逆方向に辿る旅

『グレートジャーニー』を
成し遂げた人物である

私と『関野吉晴』氏とは
随分前に出逢ったのだ

ちょうど
『グレートジャーニー』に於いて
ベーリング海峡をカヤックで
渡った直後のことであった

私が絵を描いていることを
優しく応援してくれたのだ

彼はまさしく
『地球』を
『呼吸と鼓動の線』で
渡り歩いた人物であると想ふ

また話は脱線するが

ここ最近
私の作品を
南米のとある国の
ドキュメンタリー映像作家の
映写会の告知のために
献呈したのであるが

このドキュメンタリー映像作家も
『関野吉晴』氏との
共通の知人となる

世間は何と
狭いことか…

『呼吸と鼓動の線』は
つながり、ひろがってゆくのだ

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関野吉晴
人類の旅〜この星に、生き残るための物語。
『グレートジャーニー』
https://www.youtube.com/watch?v=Av5_TqgR2uE&frags=pl%2Cwn

2018.7.11[Wed]
『ドレスの街』

其れはまさしく
建築物のよふなドレス

街は襞の
集積なりて

明と暗
そして反射光

メタリックな
無残な景色を
救ふ道

2018.7.10[Tue]
『神聖なる無知』

お互いの眼の中に
虹色に揺らぐ景色

滲んだ涙
霞む空

行こうかと声をかけ
前に進む

神聖なる無知を
たずさえ乍ら

2018.7.9[Mon]
『フェティシズム』

其れに関する学説は
宗教学や人類学を
起源とする

その後
マルクス主義による解釈
消費財の消費による
疑似満足

現在の心理学的な意味での
エロティック・フェティシズムの概念は
アルフレッド・ビネットによるもの

マルキ・ド・サドの
『悪徳の栄え』に於ける
身体的・物理的主従関係

ザッヘル・マゾッホの
精神的主従関係

ファッション界では
パンク系ファッション
ストリート・ファッション
パリ・コレクション

体を締め付け拘束する
コルセット
ボンデージ・スーツ
黒いラバーやエナメル
ハードな素材
編み上げブーツ

身体意識の高まり

レトロ
ヴィンテージ
アンティークと呼ばれる事物も
全て

『フェティシズム』の対象なのだ

2018.7.8[Sun]
『風景画』

私が多摩美術大学
油画専攻
在学中の頃の話である

クラスは
具象画クラスであったので

当時
授業で毎日のよふに
ヌードモデルを描く
機会があったのだが

私はその当時
非常に精神的に
疲弊し
挫折していたし

特に人物画は
最も難しい
モティーフでもあったので

そんな授業は
サボって終い

当時、開発され始めた
多摩丘陵の景色を
ただただ
スケッチして歩いて回っていた

私は今現在に於いて
失われたあの若かりし日々のことを
時として痛切に
想うことはあるのだが

若い時代に生きた
己の環境は
あまり良く想い出せない…
といふのが本音である

今に比べたら
余程『呑気』な
時代だったのかもしれないが

私にとっては
とてつもない
『不安』しかなかった

どいつもこいつも
『呑気』に構えているのなら

俺は徹底的に
『不安』になってやる
そんな気持ちであったと想ふのだ

話は変わって

最近…
大学在学中の恩師の
油絵を手に入れた

茶畑が描かれた
非常に素晴らしい『風景画』

そして
私の作品は決して
『抽象画』ではないのだ

徹底的な
『具象画』なのである

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https://www.youtube.com/watch?v=RqlItqLTseQ

2018.7.7[Sat]
『詩歌のよふに』

探究心と
勤勉な精神の裡に

マリアの透き通るような
繊細なヴェールの結晶が
連なってゆく

Fra Filippo Lippiの
聖母子と天使たち

私の制作は
常に詩歌のよふに

言葉の連鎖から
生まれゆく

とてもおかしな
矛盾の中で
生まれゆく

それは
タブラ・サラなのか
生得観念なのか

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『Legends of the Fall(果てしなき想い)』
https://youtu.be/jaxZeisCHv8?t=90

2018.7.6[Fri]
『無私の精神』

緩やかな歩調
アニミズムの歩調
そふやって彼ら彼女らは
足元の淵を彫り始める
昼に夜に
人類の設計図を
彫り始める
穏やかな語り口が
其処に立ち現れる
其れが無私の精神

2018.7.5[Thu]
『芸術そして美しさ』

この作品には
『春』の『三美神』の足元が
逆さまに描かれているのだ

『愛欲』
『純潔』
『愛』

芸術そして美しさ
それは過去を
辿る旅路である

過去は本質的に
表面に出現してはいない
内部に隠れて存在している

それはまるで
暗闇から白日のもとへ
出現するイマージュへと

花が開こうとするその運動を
私たちが目を逸らすことなく追跡し
且つ取り入れる場合にのみ
捕らえることが可能であるのだ

それは
一方は『想う浮かべる』ものであり
もう一方は『反復する』ものなのである

2018.7.4[Wed]
『衣の咀嚼』

よろめき乍ら
己を雑嚢にして仕舞い

みすぼらしく滑稽な
膝を高く蹴り上げる

衣の咀嚼は
すばやい視線を
ちらりと投げ

頬っぺたを
擦り寄せては
この場から去ってゆく

2018.7.3[Tue]
『ローマの休日』

私の創造活動に欠かせない
インスピレーションを受ける場所が
幾つかあるが

其の中での
重要なひとつ

其れは『ローマ』

其処には全てが
詰まっている

『ローマ』の中でも
特に『サン・タンジェロ城(Castel Sant'Angelo)』は
私にとって特別な場所なのだ

訪れた日のことを
想い出す

『サン・タンジェロ城』は
バチカンの『サン・ピエトロ大聖堂』とは
秘密の通路で繋がっているといわれており

城の頂上には
『大天使ミカエル』が
君臨している

その城に隣接している橋
『サン・タンジェロ橋』には

『サン・タンジェロ城』に向かって
『キリスト受難』のモチーフを持つ
10体の天使達がずらりと並ぶ

ここで話は逸れて
オードリー・ヘプバーン主役の
『ローマの休日』

アン王女と
新聞記者のジョー・ブラッドレーは
『サン・タンジェロ城』の前で

ロマンティックな
船上ダンスを
繰り広げるのだ

『大天使ミカエル』に
見守られ乍ら
『ローマの休日』は
永遠に輝いている

2018.7.2[Mon]
『果てしない宇宙』

ぼんやりした時の流れ
瞬きもせずに
瞳を覗き続け
そっとしておく

少女は僅かばかりの
ラブラドライトの
痛みを感じ乍らも
壮大な街を歩いてゆく

合図を送る

明らかな普遍としての
予定のなかに

それは前から後ろから
やってくる

宇宙が無為に
流れていこうとも

ただただ
じっと佇み

其処に漂ふ
信号を受け取る

ふと気づく
神秘的な芳しいやさしさ

操縦士たちは
船外へと放り出され

果てしない宇宙を
永遠に漂ってゆく

既に私たちの記憶力
したがって意識の働きが

幾らでも多くの瞬間を
それぞれ互いに
延長するのだから

2018.7.1[Sun]
『天使』

パトリック・ボカノウスキー(Patrick Bokanowski)が
『天使』といふ映像作品を
制作したのと同様なことが

今の私の近辺で起こっている

私の作品を
南米のとある国の
ドキュメンタリー映像作家の
映写会の告知のために
献呈したからである

存在に根拠がないといふことは
万物は少しも必ずそうなる理由や目的も
ないところに在ることを意味するのだ

畢竟
存在の根本的な偶然である

では、偶然とは一体何を意味するのか
少しでも考えてみるが良い

存在が必ずそうならないのだとすれば
論理的には
万物は無いといふことが
当たり前なのだ

もし必ずそうなる理由や目的があって
何かがこの世界に登場するのであれば
その存在が有るといふことは
しごく当然であるからである

然し乍ら
そのよふな必ずそうなる原理がないといふのが
存在の無限の根拠の性格

だから存在するといふことは
論理的には非常に
様子が普通でないさまなことなのだ

寧ろ
非在の方が理屈としては
無理がないのである

其の意味なすところが
『天使』の存在である



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