2018.12.31[Mon]
『三部の教え 其の二十九』

『イエス・キリスト』にとっての『賜物』とは
『グノーシスの知識』のことである…

復活した『イエス・キリスト』は弟子たちに対し
其れを宣べ伝えることを説いたのである…

無知が支配を揮い始める前から存在する真理とは
『モナド』のことである…

つまり『至高神』と同一の断片を
『人間(アントローポス)』は持っていることを意味する…

『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の『三部の教え』から一部抜粋…
(以下)
―――――――――――――――――――――――――
【宣教の業】
それ(賜物)は、それを他の残りの者たちに語り伝えるに
ふさわしいとイエスに判断された者たちによって、宣べ伝えられた。
われわれが啓示と結合の業によって仕えているのは、
この方(イエス・キリスト)である。
自由とは、無知が支配を揮い始める前から
存在する真理についての知識のことである。
―――――――――――――――――――――――――
【光に対する異なる反応】
人類はその本質において、霊的、心魂的、物質的の三種類に分かれて、
存在するようになった。これら三つの種族の本質は、
それぞれの本質が結ぶ実によって知られる。
彼らは最初は知られていなかった。
むしろ、救い主が到来して、聖徒たちを照らし、
それぞれが何者であるかを明らかにしたときに(知られたのである)。

(其の三十へ続く)

2018.12.30[Sun]
『三部の教え 其の二十八』

『アダム』の転落(失楽園)はまさに
『ロゴスの半身(マイナスの半身)』の転落と同じである…

『混乱』と大いなる『動揺』『屈託』の後に
大いなる『善』に預かり、そして『永遠の生命』を
『キリスト』から授かるのだ…

『ロゴスの半身(マイナスの半身)』が救われるのと同じ順番で
『人間(アントローポス)』も救われるべきといふことである…

『上にあるよふにも、下にも…』
此れは『グノーシス主義』の基本概念である…
つまり『輪廻転成』を経験したといふことだ…

然し、此れは『至高神』の意思であって
肯定的に捉えられているのである…

話は変わりキリスト教の世界観では
『イエス・キリスト』は『聖母マリア』から
『無原罪』に生まれてきたのである…

つまり『天使』によって孕んだのである…

『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の『三部の教え』から一部抜粋…
(以下)
―――――――――――――――――――――――――
すなわち、彼(霊)は最初にこう考えたのである。
人間は(先ず)大いなる悪、すなわち死、
すなわち万物についての完全なる無知を味わい、
そのことから生じてくるはずのあらゆる悪しきことを経験し、
また、それらの中に宿る動揺と屈託を経た後に、
大いなる善、すなわち永遠の生命、すなわち万物についての
確固たる認識とあらゆる善なるものの贈与に与るべきであると。
その(最初の)人間が犯した造反のゆえに、死が支配した。
(しかし、このことは)、われわれが先にも述べた摂理、
つまり父の意志によるのである。
―――――――――――――――――――――――――
【救い主の受肉と受難】
それまで倒れていたが(救い主の出現とともに)光を受けた者たちの間に、
彼は彼らを超えた高い者としてやってきた。
というのは、彼は罪も染みも織れもなしに自分を孕ませた方であるからだ。

(其の二十九へ続く)

2018.12.29[Sat]
『三部の教え 其の二十七』

掲載画像は、2011年1月に開催した個展…

『アルベルチーヌの置き手紙に隠された秘籥の嘘』
観念の黒い影の不在 ― トゥーレーヌで息絶えた細かな真実の断片と嘘の事実の無数の錯綜

…の時のもの…

『マルセル・プルースト』著の
『失われた時を求めて』に着眼したのである…

此の個展のすぐ後に…
『東日本大震災』が起こったのだ…

最初の『人間(アントローポス)』には
『楽園(エデンの園)』が備えられていて『三種類の木』が与えられた…

『生命の木』=グノーシス
『善悪の知識の木』=旧約
『その他の木』=悪しき木(異教徒)

此の時点で、まだ『人間』のかたちは
固まってはいない…

『デミウルゴス』が『善悪の知識の木』を置いたのは
『神』に従うか背くかの選択を与えるため…

『善悪の知識の木』を食することは『悪と苦しみと死』を意味し
許されていなかったのである…

『アダム』は本質的に
プログラムされたことだけを行うロボット…

『蛇(レヴィアタン)=サタン』により誘惑され
『アダム』は自分の自由意志で、神に背いて
『禁断の実』を食べることを選択したのだ…

『グノーシス主義』に於いて『蛇(レヴィアタン)』を
『サタン=悪』として捉えているのは『三部の教え』の特徴的な部分である…
何故ならば『グノーシス主義』に於いて『蛇(レヴィアタン)』は
『救世主』として捉えることの方が多いからである…

『禁断の実』を食べた『アダム』は
霊的な領域から追放され
『物質的な者たち』と『心魂的な者たち』の領域に
落ちてゆくのである…

『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の『三部の教え』から一部抜粋…
(以下)
―――――――――――――――――――――――――
【楽園の中の三種類の木】
この理由から、こう言われるのである。
すなわち、彼(人間)のために楽園が備えられて、
彼が三種類の木から食物を得るようにされたのだと。
彼(造物神)が彼(最初の人間)に味わうことを許したのは、
ただ悪しきことだけであった。
二重の実をつけたもう一本の木から食べることを彼に許さなかった。
まして、生命の木から彼が食べることは許さなかった。
それ(蛇)はあらゆる悪のカよりもはるかに狡猾である。
それは彼をして戒めを破らせて、死ぬべき者とした。
―――――――――――――――――――――――――
【失楽園の意味】
さて、彼(最初の人間)のゆえに起きたこの追放は、
彼が模写と似像の領域に属するものを享楽することから
追い出されたときに起きたことなのである。
これはあの霊が定めたことなのであった。

(其の二十八へ続く)

2018.12.28[Fri]
『三部の教え 其の二十六』

掲載画像の下部左には
『サンタンジェロ橋』が…

話は変わって…
以下は『ナグ・ハマディ文書(救済神話)』の一節である…
---------------------------------
『人類の歴史』

われわれは先に語ったアルコーンたちについての話に
もう一度戻って、彼らについての解明を提示しよう。

なぜなら、七人のアルコーンたちは、
彼らの天から下方の地上に追放されたとき、
自分たちのために天使たちを、とはすなわち、
多くの悪霊どもを創造し、自分たちに仕えさせたのである。
これらの悪霊たちは人間たちに、多くの迷妄と魔術と魔法と
偶像崇拝と流血と神殿と供儀と地上の
あらゆる悪霊たちへの灌祭を教え込んだ。
その際、彼らは同労者として宿命を手にしていた。
それは不正義の神々と正義の神々の間の
協議に従って生じてきたものである。

そして世はこのようにして存在するようになったとき、
混乱の中に迷安に陥った。
すなわち、世界の開講から終末までいつの時代も、
地上のすべての人間たちが一方では正義の天使たち、
他方では不義の人間たちも悪霊たちに仕えてきたのと同じように、
世は混乱と無知と忘却に陥った。
真実の『人間』が到来するまで、すべての者が迷った。

君たちは以上で足れりとしなさい。
次にわれわれは世の考察へ進むことにしよう。
そして、その組成と布置についての記述を正確に仕上げよう。

そうすれば、隠されたものとはすなわち、
世界の開闢から世の終末まで明白であるものに対する
信仰がどのようにして見いだされたのかが明らかになるであろう。

さて、私は不死なる『人間』について語る主要点へと進もう。
私はすべて彼に属する者たちについて、
一体なぜ彼らが現にこのような住居の中にいるのかを語ろう。

たくさんの人間たちが、創造されたアダムから生じてきた。
そして、世界がすでに物質によって満たされたとき、
アルコーンたちがそれを支配した。
つまり、それを無知の中に拘束したのである。

その理由は何か。これがその理由である。
すなわち、不死なる父は一つの欠乏が
真理の中から永遠の領域、
とその世界の内側に生じたことを知っていた。
彼はこの理由から、滅びのアルコーンたちを
彼ら自身のつくり物を通して破滅させたいと願ったとき、
その滅びの世界に向かって君たちの模像を送り出した。
つまり、いまだ罪に汚れていない霊、至福なる小さき者たちのことである。
彼らは認識から疎外されてはいない。

なぜなら、あらゆる認識が、
彼らの前に現れた一人の天使この天使は父の前に力弱くはなく、
彼らに認識を授ける力がある ― の中に在るからである。

なぜなら、あらゆる認識が、彼らの前に現れた一人の天使
この天使は父の前に力弱くはなく、彼らに認識を授ける力がある。

もし彼らが滅びの世界に現れるとすれば、
彼らは直ちにまず最初に不滅性の模型を啓示することにより、
アルコーンたちと諸力たちにとって裁きとなるであろう。

さて至福なる者たちが権威たちのつくり物の中に現れたとき、
彼ら(権威たち)は彼らを妬んだ。
権威たちはその妬みのゆえに、
自分たちの種子を彼らの間に混ぜ合わせた。
それは彼らを汚すためであった。
しかし彼らにはそうすることができなかった。
さて、至福なる者たちが光り輝きながら現れてきたとき、
彼らはさまざまに相異なった仕方で現れた。
そしてそれぞれが自分の土地から、滅びの形成物の間に現れた。
教会に自分の認識を啓示した。それ(教会)には、
それと混じり合った権威たちの種子のゆえに
あらゆる種子が含まれているのが認められた。

なぜなら、救い主が彼らすべてから[…欠損…]造り出したのであるから。
そして、これらの者たちの霊は優れたものであり、
至福なるものであり、選びに従って種々に異なっていることが明らかとなる。
そして無数の他の者たちについても、彼らが王なき者たちであり、
彼らより昔のすべての者に優る者たちであることが明らかとなる。

その結果、四つの種族が存在する。その内の三つは『八つのもの』の王たちに属している。
しかし、四番目の種族は王なき完全なる種族であって、彼ら(三種族)すべてよりも上にいる。

なぜなら、彼らは自分たちの父の聖なる場所へ戻って行き、
くつろぎと言葉には尽くせない永遠の栄光と
終りなき喜びの中に安らぐことであろうから。

他方、彼らは死ぬべきものの中にあっては、
不死なる者として王なのである。
彼らはカオスとその諸力たちとを裁くであろう。

今や、あらゆる者に優った『言葉』が派遣された。
それはただひたすら、知られざる事柄について告知するためであった。
彼は言った、隠されているもので明らかにならないものはない。
また、知られずにきたものは知られるであろう。

さて、これらの者たちは、隠されている事柄と、
カオスの七人の権威と、彼らの神無き思い上りとを
明るみに出すために遣わされたのである。
彼らは死へと裁かれた。

ところで、アルコーンたちの形成物の中にすべて完全なる者たちが現れて、
比べる物のない真理を啓示し たとき、この世の神々のあらゆる知恵が辱められた。
彼ら(神々)の宿命は滅びを宣告され、
彼らの力は解消されてしまった。彼らの支配は解かれ、
彼らの予知は彼らの栄光と共に虚ろなものとなった。

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さて本題の『三部の教え』に移行する…

旧約の『アダム』は天界(楽園)に於いて
『泥』で創られたのであるが、立てなかったため
『デミウルゴス』が息を吹き込み『モナド』を注入した…

其れによって『アダム』は立つことが出来たのだ…

其の『モナド』は何処から来たのか…
『ロゴスの半身(マイナスの半身)』が
『デミウルゴス』を経由して放り込んだのである…

此処で話を変えてみることとする…

『ヒンドゥー教』のインド哲学の学派のひとつ
『サーンキヤ哲学』で言ふなれば…

『個我(ジーヴァ)』から
『無意識』『潜在意識』『顕在意識』が発生する…

『無意識』=『コーザル体』…
『潜在意識』=『アストラル体』<『メンタル体』…
『顕在意識』から『五根』『五唯』が発生し『エーテル体』となる…

更に『五根』+『五唯』=『五大』が発生し『肉体』となる…
(注:『五大』=『空』『風』『火』『水』『地』)
(注:『空』『風』=『エーテル体』)

『無意識』=『原因体』
『潜在意識』+『顕在意識』=『幽体』

『幽体』+『原因体』=『心魂』となるのである…

( 2018.12.24[Mon]『三部の教え 其の二十二』・参照)

『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の『三部の教え』から一部抜粋…
(以下)

―――――――――――――――――――――――――
【三つの部分から成る人間】
(霊的ロゴス)こそ預言者が『活ける霊』、
『いと高きアイオーンの気息』、
『見られざる[者]』と呼んだものである。
最初の人間の魂について、
われわれが次のように説明するのは適切なことである。
すなわち、それは霊的なロゴスからきているのだが、
造物神はそれを自分自身に属するものと考えているのである。
なぜなら、それは、呼吸する者が口からそうするように、
彼(造物神)を通してきているからである。
最初の人間は混ぜ合わされて造られた物、
混ぜ合わされた被造物、左の者たちと右の者たちの供託物である。

(其の二十七へ続く)

2018.12.27[Thu]
『三部の教え 其の二十五』

掲載画像は『国立西洋美術館』で開催されている
『ルーベンス展 ― バロックの誕生』に展示されている
『ローマの慈愛(キモンとペロー)』(ルーベンス作)…

獄中で餓死する定めとなった老父『キモン』を
授乳によって救おうとする娘『ペロー』の物語…

非常に美しい作品である…
特に『ペロー』の衣服の『赤』は鮮烈…

さて…
『三部の教え』へ移行する…

此処で初めて『人間(アントローポス)』が生み出される…

然し乍ら『霊的な者たち』は意志の力によって、生殖の力を超越している
つまりは、以下の内容のことである…

( 2018.11.25[Sun]『フィリポの福音書』・参照)

『グノーシス主義』は『肉体』を嫌悪した
此処にも、其れが現れているのだ…

『人間(アントローポス)』は、先づ『天界』で創られる…
此の時点では、まだ『霊的存在』である…
『天界』から『転落』し
『物質化』した過程については、以下で既に述べた…

( 2018.12.18[Tue]『三部の教え 其の十六』・参照)

『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の『三部の教え』から一部抜粋…
(以下)
―――――――――――――――――――――――――
【人間の創造は最後に行なわれる】
右側の者たちと左側の者たちの中間に置かれた思考は、生殖の力である。
―――――――――――――――――――――――――
【造物神とその天使たちも参与する】
人間の創造は存在する他のものすべてのそれと同じである。
霊的なロゴスが目には見えない仕方で彼(造物神)を動かし、
その造物神と彼に仕える天使たちを通して、彼(人間)を完成したのである。
それ(地的人間)は彼らが右の者も、左の者も、それぞれが順番に、
それぞれの在り方に従って(…欠損…)のかたちを与えながら、全員で準備したものである。

(其の二十六へ続く)

2018.12.26[Wed]
『三部の教え 其の二十四』

本題に入る前に、少し『寄り道』…

掲載画像は、古代エジプトで描かれた『ベンヌ』…
『ベンヌ』は『フェニックス(火の鳥・不死鳥)』の原型である…

『ナグ・ハマディ文書(救済神話)』には
此の『フェニックス伝説』についての記述がある…

此れは『古代地中海世界』に於けるものであり
また『イエス・キリスト』の『復活』を象徴するものでもある…

『手塚治虫』の漫画『火の鳥』の内容は
まさに『グノーシス主義』の流れを汲むものなのだ…

以下に『ナグ・ハマディ文書(救済神話)』より
『フェニックス伝説』に相当する箇所を抜粋する…

(以下)
――――――――――――――――――

『三寓喻的揮話』

それは楽園の千年をフェニックスと呼ばれる
気息ある生物が彼らの世界の中で過ごすためである。
それが自分を殺し、かつ生かすのは、
彼らに対する裁きの証人としてである。
なぜなら、彼らはアダムとその種族に対して
悪しきことを行なって、世の終末にまで至ったからである。

世が終末に至るまでは、
三種類の人間とそれぞれの種族がある。
それは永遠の領域に属する霊的な者と
心魂的な者と
地上的な者である。

それに応じて楽園には三体のフェニックスがいる。
第一のそれは不死である。
第二のそれは千年を過ごす。
第三のそれについては『聖なる書』に、
それは喰われてしまうものだ、と書かれている。

こうして洗礼にも三つある。
第一は霊的なそれである。
第二は火のそれであり、
第三は水のそれである。

フェニックスは天使たちに対する証人として現れる。
エジプトにいる水竜についてもそれと同じである。
それは一人の真の人間(となるため)の洗礼へと
下ってゆく者たちに対する証人となった。

エジプトにいる二頭の牛は
秘儀として太陽と月を持っている。
それはサバオートの証人として仕えるためである。
なぜなら、それらの上にソフィアが
世界を受け取ったのであるから。
彼女は太陽と月を創造したその日から、
自分の天に永遠の領域に至るまで封印を施したのである。

さて、フェニックスから生まれた虫は人間ではない。
それについては、こう書かれている
『義人はフェニックスのように茂るであろう』と。
そして、フェニックスは生きて現れ、
それから死に、やがて再び起き上がる。
なぜなら、それは「世の終末に現れるであろう」者の
予兆だからである。

これらの大いなる予兆はただの
エジプトにおいてだけ明らかとなったのである。
他のどのような土地にも、それが神の楽園に
似ていることを示す予兆は存在しない。

――――――――――――――――――

さて、本題の『三部の教え』に入る…

『ロゴスの半身(マイナスの半身)』は『デミウルゴス』を
手のよふに使って、造物神以下のものを整えた…

霊的な者たち、つまり
『ロゴスのプレーローマ』の誰か、
または『ロゴスの半身(マイナスの半身)』は
『デミウルゴス』の口を使い預言を行なった…

創造の業は、神が『光あれ』と唱えると、
霊的な領域のかたちを雛形として
光が現れることの意味である…

『デミウルゴス』は、旧約のモーセの『律法』であり
『プレーローマ』のことを知らないのである…

ただ『デミウルゴス』は『ロゴス』『父の御心』の
経綸に従って、全てが動いているのである…

『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の『三部の教え』から一部抜粋…
(以下)
―――――――――――――――――――――――――
ロゴスは彼を手のように用いて、
下の領域に在るものに働きかけて、それを整えた。
また彼(ロゴス)は彼(造物神)を口として用いて、予言されるべきことを語った。
彼は知らなかったのである。彼による動きは、
実は彼をその望むところへと定められた仕方で導く霊によるものであることを。
―――――――――――――――――――――――――
【造物神の創造の業】
さて、彼(造物神)の中から生じてきたものについては、
彼がそれらについて語ると、それらが生じてきた。
すなわち、われわれがすでに模像に関する議論のところで
言及した霊的な場所のかたちに倣って。
彼はその本質において『神』であり『父』であり、
その他すべて誉れある名前であるから、これらのものを
彼自身の本質から出てきたものと考えた。
彼は自分に従う者たちには安息を、反対に彼を信じない者たちには刑罰を定めた。

(其の二十五へ続く)

――――――――――――――――――
『シスター・クリスティーナ(Suor Cristina)』
『Somewhere Only We Know』
https://www.youtube.com/watch?v=VaHTUvW1MQQ

2018.12.25[Tue]
『三部の教え 其の二十三』

本日、12月25日は…
『イエス・キリスト』の降誕日…

そして『ミトラ教の祝日(太陽神ミトラの誕生日)』でもある…
この日付には敗れたミトラ教が生き残っているのだ…

( 2018.10.19[Fri]『ミトラ教』・参照)

『ロゴスのプレーローマ』に於ける『アルコーン』とは『支配者』の意
つまり旧約で言ふところの『天使』のことである…

そして『ロゴスのプレーローマ』に於ける『父』とは『造物神』のこと
つまり『デミウルゴス』である…

詳細は省くが
『三部の教え』に於いての『デミウルゴス』誕生は
『プトレマイオスの教説』とは経緯が違っており
一番最後に誕生するのである…

さて、話を少し逸らして終ふが…

『現代神智学』に於いては、以下の三つを『三つ組』と呼称し
『アートマ』『ブッディ』『マナス』と呼称する…

『ロゴスの半身(プラスの半身)』=『アートマ』
『ロゴスの半身(マイナスの半身)』=『ブッディ』
『デミウルゴス』=『マナス』

『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の『三部の教え』から一部抜粋…
(以下)
―――――――――――――――――――――――――
【二つの秩序を位階制にする】
さて、ロゴスは二つの秩序が覇権をめぐる欲求において
同じであることを知っている。
彼は(彼らの)それぞれにそれぞれの位階を与えたのである。
この結果、天使たちと天使長たちの間で、位の高さと低さに応じて、
ある者たちは命令する者、ある者たちは従う者の違いが存在することになる。
それぞれのアルコーンは、生まれてきた時に
彼に割り振られた種族と役割を備えながら、守備についていた。
―――――――――――――――――――――――――
【(第一の)アルコーン(造物神)】
彼(ロゴス)はこれらすべてのアルコーンたちの上に、
一人のアルコーンを置いた。
それは誰にも命じられることのない者であった。
彼はまた『父』『神』『造物主』『王』
『裁き人』『場所』『住まい』『法』とも呼ばれる。

(其の二十四へ続く)
――――――――――――――
エリック・セラ(Eric Serra)
『Virgin Islands』
https://www.youtube.com/watch?v=q20HGP_n7gs

2018.12.24[Mon]
『三部の教え 其の二十二』

『国立西洋美術館』に於いて開催されている
『ルーベンス展 ― バロックの誕生』…

わたしが初めて『ルーベンス(Peter Paul Rubens)』の存在を知ったのは
イギリスの作家ウィーダが19世紀に書いた児童文学
『フランダースの犬』である…

『フランダースの犬』の舞台は
19世紀、ベルギー北部のフランドル地方…

両親を失い『祖父』と一緒に暮らしていた
15歳の少年『ネロ』…

少年『ネロ』は、街で主人である金物屋に
酷使の末に弱って捨てられていた
老犬『パトラッシュ』と出逢ふ…

『パトラッシュ』を懸命に看病した少年『ネロ』
『パトラッシュ』は、其の後、回復…

少年『ネロ』は『パトラッシュ』と共に
貧しい『ミルク運搬業』で生活の糧を得乍ら
いつか『画家』になることを夢見ていた…

少年『ネロ』は、類い稀ない才能を持ち乍ら
様々な苦難に耐え乍ら
いつの日にか、アントワープ大聖堂の『ルーベンス』の
二つの祭壇画を見たいと心に望んでいた…

然し乍ら『祖父』は…
少年『ネロ』に『コンクール』用の画材を
プレゼントした日に体調を崩し
帰らぬ人となって終ふ…

『クリスマス』を、数日後に控えた日に
優しかった『祖父』を亡くし…

少年『ネロ』は…
挙句に『風車』の『放火犯』扱いまでされ
家賃を滞納していた小屋からも追い出され…

厳しい吹雪の中、彷徨い歩き『パトラッシュ』と共に
アントワープ大聖堂の『ルーベンス』の
二つの祭壇画を眺め乍ら『昇天』してゆくのだ…

『ネロ』と『パトラッシュ』の魂は
永遠に『ルーベンス』の『キリストの昇架』の元に…

此のよふな素晴らしい『アニメ作品』が
近頃は本当に少なくなって終ったと想ふ…
――――――――――――――――
『フランダースの犬』
https://www.youtube.com/watch?v=TKsuamxZG40
――――――――――――――――

さて…
『ルーベンス』は、ドイツ生まれ、ベルギー没の画家…

此の世で最も卓越した画家の一人であることは
云ふべくもない…
(凄まじいテクニシャンである…)

彼はバロック時代に於いて活躍した画家であり
其の傾向としては『レンブラント』と『アルブレヒト・デューラー』の
中間地点にあると想って、差し支えない…

『レンブラント』は凸的であり
『アルブレヒト・デューラー』は凹的であり
『ルーベンス』は、其の凹凸の両方を駆使したからである…

『イタリア』で展開した『ルネッサンス』の動向は
アルプス以北のエリアにも伝承され
『イタリア』の芸術に触れたいと願う画家が数多、現れた…

『アルブレヒト・デューラー』は、二度に渡って
『ヴェネツィア』を訪ねては『人体比例』や
『解剖学』『遠近法』について学んでいるし…

『ネーデルランド』でも『アルブレヒト・デューラー』と同世代の画家達が
『ラファエロ』や『ミケランジェロ』の様式を故国に伝えた…

彼らは『イタリア』の古代遺跡や彫刻、絵画に触れて
研鑽を積んだ『ロマニスト』…

『ルーベンス』が『イタリア』に旅立ったのは
1600年〜1608年…

1600年は『ジョルダーノ・ブルーノ』が火刑された年…

『ルーベンス』が『ヴェネツィア』に訪れた時
『ティツィアーノ』や『ティントレット』
『ヴォロネーゼ』ら『ヴェネツィア派の巨匠達』の作品群に触れ…

『マントヴァ公ヴィンチェンツォ・ゴンガーサ』の肖像画家となり
『宮廷画家』の地位を獲得する…

1601年には『マントヴァ公ヴィンチェンツォ・ゴンガーサ』の資金援助により
『フィレンツェ』を経て『ローマ』に滞在…

『ローマ』では『ミケランジェロ』の模写を行ふ
其れは『ミケランジェロ』の後期作品の影響があってのこと…
『ミケランジェロ』の功績は其れほど偉大…

そして、明暗対比の強い斬新な『カラヴァッジョ』と出逢う…

数多、存在している画家の中でも
『子どもの肖像画』を描けるのは
『ルーベンス』と『ラファエロ』ぐらいなものだ…

『ルーベンス』は色彩と光の両方を
知覚する術を備えていた
ずば抜けた才能を持つ画家である…

『初期ルネッサンス』
または『盛期ルネッサンス』を超えて
『バロック』は誕生する…

『バロック』は『遠近法』『光』
『誇張された動き』『装飾の多用』を
更に抽象化すべくして誕生したものである…

――――――――――――――――

さて、本日より『三部の教え』の『経綸(けいりん)』に
話を移行してゆきます…

『経綸』とは『国家の秩序をととのえ治めること』の意であり
『三部の教え』に於いては『心魂的な者たち』と『物質的な者たち』の領域となる…

『三部の教え』は全てが『男神』…
『プトレマイオスの教説』に於ける『女神』は排除されている…

すなわち『ソフィア』ではなく『ロゴス』の転落に変化したことは
かつて『サナト・クマーラ(世界主)』といふ霊的存在が
歴史的に実在したといふことで、整合性を持ってくるからである…

此れが後々、金星からの『堕天使ルシファーの転落』にも結びついてくる…
すなわち『ロゴスの半身(マイナスの半身)』=『サナト・クマーラ(世界主)』=『堕天使ルシファー』なのだ…

『ロゴスの半身(マイナスの半身)』は『転落』した後、地球の世界主として君臨し乍らも
『欲界』といふ『物質世界』に閉じ込められた存在なのである…

『人間(アントローポス)』は『肉体(物質)』だけでなく
目に見えない複体の『エネルギー身体』が重なっていると考える…
(以下@AB)
―――――――――――――――――――――――――
@『霊的な者たち』=『モナド』
A『心魂的な者たち』=『アストラル体』<『メンタル体』<『コーザル体』
●『アストラル体』は『感情体』とも呼ばれ、感情の発現の媒体である
 また、自由に動ける独立した『意識』である
●『メンタル体』は『精神体』とも呼ばれ、
 人間の精神的・知的な思考、および自己表現の発現の媒体である
 天賦の才能というのはここに蓄積され、生命体の集合的記憶の貯蔵庫である
●『コーザル体』は、本来に自己と呼んでいる存在である
 解脱した魂はコーザル体の殻を破ってからさらに上の世界に上昇する
B『物質的な者たち』=『エーテル体』
 エーテル体とは物質の構成原料
 『気』『生命力』『エネルギーのネットワーク』である
―――――――――――――――――――――――――

『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の『三部の教え』から一部抜粋…
(以下)
―――――――――――――――――――――――――
【ロゴスのプレーローマの秩序(教会)】
ロゴスは万物を美しく整えたとき、まず最初に自分自身を、
一つの根源および原因として、
また、生じてきた者たちを統括する者として立ち上げた。
彼は、栄光の中に生み出した者たちのための場所を整えた。
―――――――――――――――――――――――――
【霊的な者たち、心魂的な者たち、物質的な者たちの三層】
さて、すべての霊的な場所は、ある霊的な力の中に在る。
それらは、あの思考に属する者たちからは、離れている。
なぜなら、その力は一つの模像として存在しており、
それ(模像)はプレーローマをロゴスから分離するものだからである。
彼(ロゴス)はそれぞれに名前をつけた。
あの思考に属する者たちと似像に属する者たちは、
『右の者たち』『心魂的な者たち』『炎の者たち』『中央の者たち』と呼ばれる。
あの高慢な思考に属する者たちと模写の者たちは、
『左の者たち』『物質の者たち』『闇の者たち』『最後の者たち』と呼ばれる。

(其の二十三へ続く)

2018.12.23[Sun]
『三部の教え 其の二十一』

掲載画像は『サンドロ・ボッティチェッリ』作
『受胎告知』(フィレンツェ/ウフィツィ美術館:所蔵)…

まるで、武満徹(作曲)の
『波の盆』のよふな世界である…

さて『三部の教え』…

ユダヤの預言者たちによって
『キリスト(救い主)』の出現は預言されていた…

然し乍ら、ユダヤの預言者は
あくまで『心魂的な者たち』なのであって…

『霊的な者たち』のことを知らない
つまり『キリスト』の本質を知らないのである…

『三部の教え』に於いては
此処に重要な問題があって
『救い主』の『受肉』を強調するが…

『十字架』上に『受難』するのは『肉』のみであって
『霊的な本質』は『受肉』後も普遍であって
『受難』しないと考えていたのである…

それから『イエス・キリスト』が『聖母マリア』の元に
生まれたのだといふことも、はっきり言っているのである…

『イエス・キリスト』は
『ロゴスの半身(マイナスの半身)』の
『霊的な者たち』の領域からやって来たのである…

そして『上のプレーローマ』の『宇宙的キリスト』は
『父』の直接の『御子』であるため『マイトレーヤ』ではないのだ…

『ロゴスの半身』の探求は本日を持って一旦、終了…
明日から『経綸(けいりん)』の詳細に移行してゆく…

『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の『三部の教え』から一部抜粋…
(以下)
―――――――――――――――――――――――――
【救い主に関する預言者たちの宣教】
彼らが語るに値する唯一のことは、彼が生まれるであろうということ、
そして、苦難を受けるであろうということ、このことである。
彼が先在していたこと、また、彼が永遠であって、
ロゴスに由来する生まれざる者、苦難を受けることのない者として、
肉の内に在るようになったこと、
これらのことが彼ら(預言者たち)の考えに浮かんだことはなかった。
―――――――――――――――――――――――――
【救い主の受肉と受難】
彼は救おうと考えた者たちのために
彼らの死を身に引き受けたばかりではなく、
彼らがからだと心魂を備えて生まれたときに陥った
卑小さをも受け入れたのである。
それは、彼自身が、からだと心魂をもった幼子として孕まれ、
生まれることに自分を委ねた者であるからである。

(其の二十二へ続く)

―――――――――――――
武満徹
『波の盆』
https://www.youtube.com/watch?v=OlMOedlchMc

2018.12.22[Sat]
『三部の教え 其の二十』

『ジョルダーノ・ブルーノ』は
わたしが『生涯』をかけて追求する『モティーフ』である…

イタリア『ナポリ』ノラ出身の
『ジョルダーノ・ブルーノ』に着眼するといふことは…

『キリスト教』や『グノーシス主義』
『古代宇宙創生神話』に繋がることであり
裾野を広げれば『日本』に於ける『神話』
『仏教』や『ヒンドゥー教』にも繋がってゆく…

『イタリア』の文化や歴史
其処に存在している
偉大なる『芸術家』『哲学者』
『権力者』『思想家』全て…

『皇帝ネロ』
『アグリッピーナ』…

『ゲニウス・ロキ』…

『古代ギリシャ文明』『古代ローマ文明』『ヘレニズム文明』
そして『古代エジプト文明』…

『現代神智学』
『カバラ』の思想…

全てを『モティーフ』にすることが
可能といふことなのだ…

『岡村淳』氏の『ドキュメンタリー映像』
そして、我が『友』達…

故に、我が『表現』は
其れ等、全てを包括するものである…

本日、リンクする動画(2:14)には
『ジョルダーノ・ブルーノ』が現れる…

此処に着眼しないことには
わたしにとっては、何も語れないといふことなのだ…
―――――――――――――――――――――
『ROMA』
https://www.youtube.com/watch?v=1g7TrcIlpMk&frags=pl%2Cwn
―――――――――――――――――――――

『上のプレーローマ』に『御子=キリスト』が存在しているよふに
『ロゴスのプレーローマ』にも『御子=キリスト』が存在している…
二人の『キリスト』が存在しているのだ…

『グノーシス主義』の大元の『エッセネ派』には教会の中に
『祭祀のメシア=キリスト』と『王のメシア=キリスト』の二人がいたのである…

二人の『キリスト』の存在は、かなり古くから存在する概念…

『上のプレーローマ』に存在する者たちは
超越的存在であるので、物質の世界に『人間』として
生まれてくることは出来ない…

『ロゴスのプレーローマ』の重要性は
物質世界を通り抜けて『人間』を救ふことが出来るのである…

つまり『地上に於けるキリスト』は
『ロゴスのプレーローマ』に存在している『キリスト』なのである…

『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の『三部の教え』から一部抜粋…
(以下)
―――――――――――――――――――――――――
【ロゴスのアイオーン(プレーローマの模像)】
ロゴスが喜びに満たされて、その中に身を置いたアイオーンは、
確かに物質の姿をしていた。しかし、それは同時に、
原因とはつまり、自分を現した者(救い主)のことである
によって固くされるものであった。それ(そのアイオーン)は、
自分を現した者(救い主)の容貌に接した喜びに溢れて、
また、歓喜と驚きと、自分が請い求めたことの約束に溢れて、
『御子』としての根拠(ロゴス)、本質、カ、かたちを手にしていた。
―――――――――――――――――――――――――
【ロゴスのプレーローマの構成員】
これらのものが、それ(そのアイオーン)と共に、
上のプレーローマのかたちに従って、かたちづくられた者たちである。
このことはやがて生じてくるべき経論にとって重要なことであった。
なぜなら彼らには、下なる領域にあるもろもろの場所を
通りすぎることが認められたからである。

2018.12.21[Fri]
『三部の教え 其の十九』

『人生』には、必ず始まりがあり
終わりがある…

其の事実に向き合う時といふものは
一体何であるのか…

わたしには一切、答えが出せない…

ただ『生命』ある限り闘わなければならない
『瞬間』があるとしか言えない…

----------------------------

プレーローマの合意のもと誕生した『宇宙的キリスト』は
『ロゴスの半身(マイナスの半身)』のところへ降臨し
『ロゴスの半身(マイナスの半身)』を、完全なる者にする…

そして『ロゴスの半身(マイナスの半身)』による
『ロゴスのプレーローマ』が成立するのだ…

『ロゴスのプレーローマ』は
『上のプレーローマ』の模造であり
劣化した世界観である…

『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の『三部の教え』から一部抜粋…
(以下)
―――――――――――――――――――――――――
【救い主(御子)の出現】
その中に父が住み、万物が住む者(救い主)は、視力を欠いたあの者に現れた。
まず彼は、言葉に尽くし難い喜びの中で、彼を完全な者とした。
―――――――――――――――――――――――――
【ロゴスのへりくだりと創造の開始・霊的な者たちの生成】
欠乏の中に在ったロゴスが照明を受けたとき、彼のプレーローマが始まった。
彼は活ける顔の明瞭な模像を生み出した。
それらの模像は善きものの間で心地よきもの、存在するものの間に存在するものであり、
美しさにおいても彼らに似ているが、実際には彼らに匹敵はしないものである。

(其の二十へ続く)

2018.12.20[Thu]
『三部の教え 其の十八』

本日は少しばかり余談から…

『混沌』とした状況の時に、当たり前のよふに
『カオス』といふ言葉を使ふ人は多いと想いますが…

『カオス』の持つ『組成』…
そして其の『根源』について答えられる人は
一体どれぐらいいるでしょうか…

多くの人々は『カオス』は『闇』のようなもので
『カオス』以前には何も存在しないといふ
イメージを持っているかもしれません…

『カオス』は始まりであったのか…
『カオス』以前には何も存在しなかったのか…

答えは『No』です…

『カオス』の『組成と根源』…

此れは『グノーシス主義』の
『古代宇宙創世神話』を掘り下げなければ
何一つ、語れない代物なのです…

さて、此処で本日の本題『三部の教え』に話を移行します…
此処が『三部の教え』に於ける
『カオス』の箇所に相当する教説となります…

『ロゴスの半身(プラスの半身)』は
混乱を期した『ロゴスの半身(マイナスの半身)』を救ふ為
折り合いをつけるために『アイオーンたち』に働きかける…

其の『合意』の元に於いて『キリスト』は誕生した…

此処で注意したいのは『三部の教え』の『キリスト誕生』は
『ヴァレンティノス派プトレマイオスの教説』に於ける『キリスト誕生』と
全く違う様相を呈していることである…

『プトレマイオスの教説』に於ける『独り子』は『ヌース』であり
『キリスト』と『ソーテール(救い主)』は
『ヌース』とは全く別の存在として流出したのである…

然し乍ら『三部の教え』に於いては『キリスト=御子』である…
つまり『キリスト』は『父』の『独り子』なのだ…
『キリスト正統派』の『三位一体』の思想に折衷しているからである…

『三部の教え』は『現代神智学』に流れている…

『現代神智学』では『キリスト』のことを『宇宙的キリスト』と呼称し
惑星レベルの『キリスト』と区別しているのだ…

『プトレマイオスの教説』も『三部の教え』も
同じく『ヴァレンティノス派グノーシス主義』である…
然し乍ら、これほどまでに内容が違ふのだ…

『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の『三部の教え』から一部抜粋…
(以下)
―――――――――――――――――――――――――
【ロゴスの期待】
プレーローマへ移動したあのロゴスには、
いと高き方への希望と期待がある。
その高きところへ昇って行った者は、
その欠乏の中に在る者のために、
アイオーンたちの流出 …
それは真に存在する者たちに従って生じてきていたのである …
との間で、執り成す者となった。
さて、彼が彼らアイオーンたちに向かって祈ったとき、
彼らは喜んで、快く、そして一致した合意の下に、
欠乏の中に在る者を助けることに同意した。
―――――――――――――――――――――――――
【プレーローマの合意が生む実(救い主=御子)】
その同意に基づいて、わき上がる心の喜びの中に、
その実を生み出した。この者こそ、正当にも『救い主』、『贖い主』、
『心地よき者』『愛しき者』、『請願を受ける者』、『キリスト』、
『定められた者たちの光』と呼ばれる者であり、
彼がその間から生み出されてきた者たち(アイオーンたち)と結ばれている。

(其の十九へ続く)

2018.12.19[Wed]
『三部の教え 其の十七』

混乱した『ロゴスの半身(マイナスの半身)』は、先づ『上のプレーローマ』の
『ロゴスの半身(プラスの半身)』の存在を想い浮かべ祈ります
それから『アイオーンたち』の存在を想い浮かべ祈ります…

『ロゴスの半身(マイナスの半身)』の祈りと想起は
『境界』の下(後のロゴスのプレーローマ界に於いて)であったが、
大きな力を持ったのである…

其れは、何かを念ずれば『物質化』するといふ意味である…
『夢』の世界と非常に近いものなのだ…

『心魂的な者たち』は『ロゴスの半身(マイナスの半身)』の
思考から生まれてきたのである…

『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の『三部の教え』から一部抜粋…
(以下)
―――――――――――――――――――――――――
【ロゴスの悔い改め】
さて、ロゴスはこのようにして存在するようになった者たちの原因となったが、
なお一層錯乱の中に在り続けた。彼は驚嘆して目を見張った。
彼が見たのは、完全さの代わりに欠乏、一致の代わりに分裂、
安定の代わりに混乱、安息の代わりに騒乱であった。
―――――――――――――――――――――――――
【ロゴスの想起と祈り】
彼(ロゴス)が最初に請願し、想起したのは、プレーローマにいる者であった。
―――――――――――――――――――――――――
【心魂的な者たちの生成】
彼のすべての祈りと想起は、すでに述べたあの境界の枠内ではあるが、
数多くの力となった。なぜなら、彼の思考においては、
無為のままでいるものは何もないからである。
これらの者たちは、前もって彼らのことを知っていた思考から生じてきたのである。

(其の十八へ続く)

―――――――――――――――
『Roma』
https://www.youtube.com/watch?v=p_e3yWI_NHA&frags=wn

2018.12.18[Tue]
『三部の教え 其の十六』

『深淵(パトス)』の方を見て終った『ロゴス』は
恐怖に駆られ『ロゴスの半身(プラスの半身)』と
『ロゴスの半身(マイナスの半身)』に分裂をして終います…

前者は『上のプレーローマ』に戻り…
後者は『転落』するのです…

そして後者によって『物質的な者たち(エーテル質)』と
『心魂的な者たち』が生み出されるのです…

『ロゴスの半身(マイナスの半身)』は
『上のプレーローマ』からの救世主に光を与えられ、喜び
『ロゴスのプレーローマ(霊的な者たち)』を生み出す…

『経綸(けいりん)』は、下から上といふ順番で形成されるのです…

此の段階ではまだ『人間(アントローポス)』は存在していません…
『人間』は、その後『物質的な者たち(エーテル質)』と
『心魂的な者たち』の中に生み出されます…

『人間創造』は『経綸(けいりん)』の
三層構造が共同することによって成立するのです…

『人間』は結果として『エデンの園』で罪を犯して
『善悪の知識の木』を食べ、造物主『デミウルゴス』の怒りを買って
『楽園』から追放されたのだ…

其れは『人間』が『肉体のレベル』に落ち
『輪廻転成』のレベルに入ってくることを意味している…

『グノーシス主義』に於いて
『人間(アントローポス)』はまた、三層構造となるのである…

『霊的秩序』=グノーシス主義
『心魂的秩序』=キリスト正統派
『奴隷の秩序』=異教徒

此処で言ふ『奴隷の秩序』とは
自分たち自身によって存在しており
始源を持たない者たちの意味で
畢竟『唯物論者』のことを意味している…

『唯物論者』は『科学的思想』の持ち主であり
『科学的見地で分析できる』ものしか信じず
反抗的であるからである…

此のことに思考を巡らせると
まさに『フロイト』や『ユング』の思想…
特に『ユング』の思想へと回帰せざるを得なくなって終ふのだ…

( 2018.10.20[Sat]『フロイトとユングの(グノーシス的)無意識心理学』・参照)

『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の『三部の教え』から一部抜粋…
(以下)
―――――――――――――――――――――――――
【ロゴスの半身(完全なる者)の帰昇】
さて、彼(ロゴス)が自分の中から唯一性に属するアイオーンとして生み出した者は、
プレーローマにある彼のものと彼の同類の者のもとへ昇って行ってしまった。
彼は(他方で)、欠乏を抱えることになってしまった者と、
彼の幻想から生じてきた者たちをもろともに投げ棄てた。
―――――――――――――――――――――――――
【ロゴスの別の半身(思い上がりから物質的な者たちが生成する 】
ロゴスの思い上がった考えから生じてきた者たちは、
自分たち自身について、自分たち自身によって存在しており、
始源を持たない者たちなのだと考えた。
というのも、彼らには彼らよりも先に存在するものが他に何も見えないからである。
このゆえに、彼らの生き方は不従順で、
彼らがそのおかげで存在するようになった方に対して、
身を低めることもなく、反抗的であった。
―――――――――――――――――――――――――

(其の十七へ続く)

2018.12.17[Mon]
『三部の教え 其の十五』

昨日の『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の『三部の教え』に於ける…

【ロゴスの過失と父の意志】
【ロゴスの自己分裂】

『父』と一体である『御子』…

『父』と『御子』が接吻することによって
続々と『アイオーンたち』が誕生する…

『御子』と『アイオーンたち』の集まり…
『上の教会』…

『アイオーンたち』の最後(または最小)に出現したのが『ロゴス』…

『上のプレーローマ』に於いては一致団結して合意の元
あらゆる事物を生み出してゆくのであるが

『ロゴス』の場合に於いては
単独で合意なしに『父』への過剰な愛(賛美)から行動したのである…

『ロゴス』は『父』と同様に完全なるものを生み出そふとして
『イデアの影』に向かって突進して終ったのである…

其れが『ロゴスの転落』である…

『ロゴス』は混乱し、光の輝きに耐えられずに
『深淵(パトス/情熱・受難)=水(女性原理・カオス・混沌)』の方を見て終ったのである…

(其の十六へ続く)

-----------------------------------
『ROMA』
https://www.youtube.com/watch?v=LZ0SA7dm-gI

2018.12.16[Sun]
『三部の教え 其の十四』

わたしが生まれ育った『石巻市』の実家のある集落は…
実は『伊達政宗』と非常に深い関係を持つ場所なのです…

わたしが生まれ育った『実家』付近は
『江戸時代』…

『天下への野望』を持ち続けた『伊達政宗』が
将軍家『徳川』を相手に『合戦』に及ぶ際の
『最後の拠点』として想定していた場所なのです…

故に『伊達政宗』は其の昔
わたしの実家付近を訪れ『視察』もしていました…
(此の際、伊達政宗は此の集落に宿泊もしています)

『伊達政宗』は
大御所『徳川家康』が死去した時が
『天下獲り』の最後の好機と考え…

『幕府軍』を迎え撃つにあたり
先づ『白石城』を『第一防衛ライン』とし…

最終的には『北上川下流域』まで退き
『古城跡』に拠って『決戦』に挑むという計画でした…

此の『古城跡』の名を『釣ノ尾城(つりのおじょう)(別称:八幡館)』といいます…
『釣ノ尾城』は『福地左馬之助(ふくじざまのすけ)』の居城…
(『釣ノ尾城』跡地は、わたしの実家から、約150メートル付近にあります)

『釣ノ尾城』は
『横川(福地)集落』東側…

高さ約80mほどの『八幡山』に築かれた『山城』で
山頂には、昔『八幡神社』が祀られていた為
この名があるという…

南面を除く三方は『断崖』となり
その南面も奥山とは深い『空堀』が切られている…

本丸は『丘陵最高所』となる南側となり
直径30mほどの『円形の平場』で
この平場を中心に『同心円状に数段の壇』が巡らされる…

本丸北側には『空堀』を隔てて
直径75mほどの『楕円形の平場』があり
ここが『二の丸』と推定されている…

その周囲にも5段ほどの『壇』が見られる
全体的には東西約200m、南北約230mほどの規模を持つ
北上川の交通の要衝を押さえた『山城』であった…

『伊達政宗』は『天下獲りの最終決戦』に於いて
まさに『袖の渡り(そでのわたり)』の戦法…

つまり『北上川下流域』から『船』を出して
戦いを挑む積りだったのです…

( 2018.8.14[Tue]『ふるさと』・参照)

――――――――――――――――

さて、前置きが長くなりました…

本日の本題
『三部の教え』に入ります…

『三部の教え』…
然し乍らにして支離滅裂な思想である…

『三部の教え』が『女神』を排除してきたこと…
此れを考えると、やはり『プトレマイオスの教説』
つまり『男神』と『女神』が対になっている方が
より自然で、まともだと想えてくる…

『三部の教え』はかなり歪んでいるのだ…
其れが『キリスト正統派』に接近した思想の正体なのだ…

『プトレマイオスの教説』の
『神智学』に於いて考えるのならば
『父』と『御子(男神)』と『女神』は
『三位一体』なのだから…

『御子(男神)』と『女神』…

『女神』から『アイオーンたち』が誕生するのが
理屈に叶っているからである…

『三部の教え』は整然とはしているものの
やはり、かなり歪んでいるのである…

『グノーシス主義』を紐解くといふことは
まさに、気が狂いそふになる境地…

以下は『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の『三部の教え』からの
一部抜粋…

明日は是等の点について展開したいと思ふ…

(以下)
――――――――――――――――
【ロゴスの過失と父の意志】
(しかし)一つのアイオーンの上に、
その知解不可能性を敢えて把握してみたい、
(そして)それを、また特に父の表現し難さを賛美したいという思いが生じた。
このアイオーンは互いに助け合いながら
生み出されてきた者たちの中の最後の者で、その大きさも小さかった。
万物との合意に基づいて、父の意志の栄光のために、何か他のことをなす前に、
思い上がって、過剰な愛(アガペー)から行動した。
彼は完全なる栄光の周りに在るものに向かって突き進んだ。
――――――――――――――――
【ロゴスの自己分裂】
彼は、確固たるものとして手に入れようと欲したものを、
かえって影と影像と模写として生み出してしまった。
なぜなら、彼は光の輝きに耐えることができず、
下にある深淵(バトス)の方を眺めてしまい、
心を二つに分けてしまった(疑ってしまった)からである。

(其の十五へ続く)

2018.12.15[Sat]
『三部の教え 其の十三』

本日の内容は、始まりは非常に難解な部分でありますが
最後は非常に笑える内容に落ち着きます…

『三部の教え』の中の『御子』に於ける『独り子』の概念は
彼に先立つ者がいないといふだけの意味である…

其れを持って『独り子』としているので
『教会』が同時存在しても構わないのである…
『御子』より先に存在する者がいないのだから…
(『父』を除いて…)

『御子』と『アイオーンたち』の集まりが
『上の教会』と呼称されるのであるが
無理やりな言い方をすれば
『教会』は『御子』ひとりでも成立するといふこと…

昨日、紹介した【先在の教会(エクレーシア)】の文節…
――――――――――――――――――――――――
彼(御子)は、生まれざる者あるいは始まりなき者であるという理由から、
自分自身にとっての兄弟なのである。
――――――――――――――――――――――――
この場合における『自分自身』とは、明らかに『父』である…
『御子』が自分自身にとっての兄弟…
言い換えれば『御子』が『父』にとっての兄弟…

つまり『父』と『御子』は、一体なのである…
同じ年齢の『父』と『息子』なのだ…

男性の『身体』に於ける『息子』が
『御子』といふ解釈なのである…

(其の十四へ続く)

2018.12.14[Fri]
『三部の教え 其の十二』

『現代神智学』を理解する上に於いて
『上のプレーローマ』から転落してきた『ロゴスの半身』
つまり『マイナスの半身』が非常に重要な役割を果たしているため
今後は此処を掘り下げていく段階となります…

『現代神智学』は非常に複雑な概念であるため
『グノーシス主義』の『神智学』の発祥の部分に戻り
『神話』から理解をするしかありません…

発祥の部分に於いては、一番スタンダードな
『ヴァレンティノス派プトレマイオスの教説』が挙げられ
此れを中心に、さまざまに変形した『グノーシス主義』があると捉えることになります…

『ヴァレンティノス派プトレマイオスの教説』と『三部の教え』は
『宇宙創生神話』の基本的概念が全く違ふのですが
どちらも虚構の神話であることには変わりません…

ただ、其の中に重要な真実があることは
どちらの概念に於いても同じく言えること…

是等が、最終的に『ミトラ教』そして『神智学』へ流れ込んでいきます…

『現代神智学』の思想が形成されてゆくのを認識するために
是等は、どふしても避けては通れない部分であります…

さて、此処からが本題となります…

『三部の教え』は『グノーシス主義』の中でも
『キリスト正統派』に折衷していく思想…

後の『ローマ・カトリック』に繋がってゆく流れです…
『女神』は排除されて、全て『男神』となります…

つまり『プトレマイオスの教説』にあるよふな
女神『エンノイア』のよふな存在は全て姿を消して終います…

『三部の教え』に於ける『父』は
長男であり『独り子』であります…
其の『父』から『万物』が生まれてゆきます…

『父』から『御子』…
そして『御子』から『アイオーンたち』が…

『御子』は『父』から最初に生まれた『独り子』とされている…
然し乍ら『秘められた教え(秘義性)』の故に
『独り子』とはならないのである…

何故ならば…
『教会(エクレーシア)』もまた存在するからである…

此処に大きな『矛盾』があるよふに想えるが
実はそふではないのだ…

『御子』と『父』の関係性には秘められたものがある…
其処を紐解いていくことで
明解に此の構造が見えてくるのだ…

其れについては、また後日…

本日触れた内容に相当する箇所を
『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の『三部の教え』の中から
数カ所、抜粋しておくこととします…

(以下)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【唯一なる者、万物の創造者】
彼は彼自身の他にはまだ何も存在するに至っていない時から、すでに存在した。
父は数字の一のように唯一である。なぜなら、彼は最初の者であり、
彼だけがただ一人在る者だからである。
しかし、今はまだ彼は自分自身を沈黙の中に保っている。
大いなる者として、また、やがて万物を永遠の存在へと呼び出す原因者として。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【御子=最初に生まれた者】
彼は最初に生まれた者であり、独り子なのである。
『最初に生まれた者』というのは、彼に先立つ者(子)が誰もいないからである。
他方、『独り子』というのは、彼の後に続く者(子)が誰もいないからである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【先在の教会(エクレーシア)】
初めから存在するのは御子だけに留まらない。
教会(エクレーシア)もまた初めから存在する。
もっとも、御子が独り子であることがこの発言と矛盾すると考える人(がいるかもしれない)。
しかし、事柄の秘義性のゆえに、そうはならないのである。
なぜなら、父はただ一人であり、ただ彼(御子)にとってだけ父であることを現したが、
御子についてもそれと同じだからである。
すなわち、彼(御子)は、生まれざる者あるいは始まりなき者であるという理由から、
自分自身にとっての兄弟なのである。
彼の子孫たちは、数え切れず、限りもないので、分けることができない。
これらの存在は御子と父からいわば接吻によって生じてきた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(其の十三へ続く)

2018.12.13[Thu]
『三部の教え 其の十一』

其の後『造物主(デミウルゴス)』すなわち
『旧約の神』と其の部下の『アルコーン』たちが
出現してくる…

然し乍ら、彼らが『心魂的な者たち』と『物質的な者たち』の領域を
創造するのではないのである…

彼らは既に存在している此の二つの領域を
『人間創造』に向かって『秩序』づけるに過ぎない…

『グノーシス主義』…
特に『三部の教え』に於いての
『物質的な者たち』『心魂的な者たち』『霊的な者たち』…

其の内の『物質的な者たち』と『霊的な者たち』は
自分が上位に位置する為に覇権を争ふのである…

『ロゴス』は全ての『アルコーン』たちの上に
ひとりの『アルコーン』を配した…
(ロゴスが、アルコーンを任命した…)

誰にも命ぜられることのない者
其れが『造物主(デミウルゴス)』である…
(デミウルゴスは最も力の強いアルコーン…)

『ロゴス』は彼を手のよふに用いて
下の領域に存在しているものに働きかけ、其れを整えた…

また『ロゴス』は『造物主(デミウルゴス)』を
口として用いて、預言を語るのである…

是等が『現代神智学』の概論…

正しいか否かは
此処では問題視してはならないのである…

『三部の教え』の概論は本日を持って一旦、終了…

明日から『現代神智学』を解き明かす際に重要となってくる
『ロゴスの半身』の詳細に移行してゆく…

(其の十二へ続く)

2018.12.12[Wed]
『三部の教え 其の十』

『ロゴス』が、遜(へりくだ)った時
つまりは、欠乏の中に存在していた『ロゴス』が光に照らされた時

彼に於ける『プレーローマ』は成立したのだ…

『ロゴス』は最初に自分を煩わせた者たちを遠ざけ
彼らとは混じり合わなかったのである…
(此れは恒星天に於けることである…)

『ロゴス』は、いまや高慢な想いを捨て去り
最初に彼に不従順であった者たちが
いまや、彼に向かって身を屈して
遜(へりくだ)った時『平安』と結ばれる…
(つまり、心魂的な者を『統治』する行為である…)

『ロゴス』はまた
己の兄弟たちが、彼を尋ねてきてくれたことを
喜びを持って迎え入れる…
(上のプレーローマから、キリストと其の従者が降りてきたことの意)

そして『栄光の賛美』を献げる…
何故ならば『ロゴス』は、彼に反抗した者たちを
遠ざけることができたからである…
(恒星天が大混乱を起こしていたことの意)

偉大さと定められた方法に於いて
彼に現れた者たちとを賞賛し、賛美したのだ…

『ロゴス』は、活ける顔の
明瞭な『模造(上のプレーローマの模造)』を生み出した…

其れらの『模造』は『善』に於いては、心地よきもの…
存在するものの間に存在する…

美しさに於いては彼らに似ているが
実際には彼らに匹敵しないものなのである…

(其の十一へ続く)

2018.12.11[Tue]
『三部の教え 其の九』

『心魂的な者たちの生成』とは
『境界』の下の枠内であるが
莫大なる力を保持しているのである…

何故ならば『ロゴス』の思考に於いては
『無為』のままで存在しているものは
皆無だからである…

其れらの『力』は『模造からの力』と比較してみれば
遥かに『善』であり、かつ、大きかったからである…

『模造』に属する者たちは
『偽りの本質』に属するからだ…

例え『模造』に長けていたとしても
先在の者たちとは、同等ではないのだ…

其れでも『ロゴス』を『模造』よりも
高みに位置しよふと欲するのであれば

ただ、彼らが『善』の思想から
出てきた者たちと云ふことだけである…

(其の十へ続く)

2018.12.10[Mon]
『三部の教え 其の八』

『現代神智学』を認識する上に於いて
『三部の教え』は非常に重要な思想である…

同じ『グノーシス主義』の
『プトレマイオスの宇宙創生神話』…

此処から『現代神智学』を解読しよふとしても
真実はスルリと逃げて終ふ…

『プトレマイオスの宇宙創生神話』は過渡的であり
『整合性』に欠けるからである…

…かと言って、手っ取り早く
『現代神智学』に直結する『カバラ』の思想に
着眼したのでは、先づ、真実には達しない…
(注:『カバラ』は、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想)

結論から言えば
『グノーシス主義』を知らずして
『カバラ』は解き明かせないといふことなのだ…

さて『三部の教え』に話を移行する…

『ロゴスの半身(思い上がり)』から
物質的なものは生成されるのだ…

一見『プレーローマ』と似ているが
其れは単なる『模造』である…

理性も光も欠いていて
空虚な思想に属するものであって
やがて存在しなくなるものへと
再び戻ってゆくのである…

『人間』は本来…
己自身について、己自身によって存在しており
『始原』を持たない存在なのだ…

つまりは、今現在の
此処にある瞬間を生きることを
忘却しているからである…

『人間』は常に、互いに覇権を握ろうと欲し
虚心支配しよふと、道を誤るのである…

此れは、むしろ『エーテル質』なのである…

(其の九へ続く)

2018.12.9[Sun]
『三部の教え 其の七』

本日は気分転換に、話を『三部の教え』から少し離れて
『現代神智学』を眺めてみます…

掲載画像は『グノーシス主義』の『オフィス派』の宇宙構造…

其の『秩序』とは、仏教的世界観と重ね合わせると
以下のよふな構造となります…
(あくまでも過渡的な構造です)
――――――――――――――――――――――――――
『第六亜界』…
〈三十三天(とうりてん)〉…太陽(妬み)(四天)
〈四天王天(してんのうてん)〉…水星(無知)(三天)
〈倶廬洲(くるしゅう)〉…金星(欲望)(二天)
〈牛貨洲(ごけしゅう)〉…月(闇)(一天)
〈勝身洲(しょうしんしゅう)〉…月下界(ベヘモット天)
〈贍部洲(せんぶしゅう)〉…地球(冥界)(欲界)=『プレーローマ』(色界)
〈等活地獄(とうかつじごく)〉…奈落(地下世界)
―――――――――――――――――――――――――――
更に其れの上位世界の『第五亜界』…
〈他化自在天(たけじざいてん)〉…第八天(恒星天)=(楽園・パラダイス)(八天)
〈楽変化天(らくへんげてん)〉…土星(デミウルゴス)(七天)
〈観史多天(とそつてん)〉…木星(肉の愚かな知恵)(六天)
〈夜摩天(やまてん)〉…火星(肉の王国)(五天)
―――――――――――――――――――――――――――

東洋に於いても、西洋に於いても
是等の構造は基本的に変わらないと言えるのです…

仏教に於いては、更に高いレベルの『色界』と『無色界』から成る
十八天の構造が存在していますが、此処では其れについては触れません…

此処で話は変わり、同じ『グノーシス主義』でも
『ヴァレンティノス派プトレマイオスの教説』に於いては
『水星』と『金星』が入れ替わり、ズレが生じています…

『ヴァレンティノス派プトレマイオスの教説』の宇宙構造の方が
『現代神智学』を語る上では、説明がしやすいのです…

『現代神智学』に於いての『カバラの楽園の木(善の木)』を
『ヴァレンティノス派プトレマイオスの教説』の
宇宙構造と重ね合わせてみると、以下のよふになります…

――――――――――――――――――――――――――
『第六亜界』…
〈三十三天(とうりてん)〉…水星『カバラに於けるホド』
〈四天王天(してんのうてん)〉…月『カバラに於けるイェソド』
〈倶廬洲(くるしゅう)〉…『カバラに於けるマルクト(物質的世界)』
〈牛貨洲(ごけしゅう)〉『カバラに於けるマルクト(物質的世界)』
〈勝身洲(しょうしんしゅう)〉『カバラに於けるマルクト(物質的世界)』
〈贍部洲(せんぶしゅう)〉…地球(冥界)=『プレーローマ』『カバラに於けるマルクト/ケテル(物質的世界)』
〈等活地獄(とうかつじごく)〉
※マルクトは『地』『水』『火』『風』の意
―――――――――――――――――――――――――――
更に其れの上位世界の『第五亜界』…
〈他化自在天(たけじざいてん)〉…恒星天『カバラに於けるコクマー』
                …木星『カバラに於けるケセド』 
〈楽変化天(らくへんげてん)〉…土星『カバラに於けるビナー』
               …火星『カバラに於けるゲプラー』
〈観史多天(とそつてん)〉…太陽『カバラに於けるティファレット』
〈夜摩天(やまてん)〉…金星『カバラに於けるネツァク』
―――――――――――――――――――――――――――

『カバラ』は稲妻のよふな構造です…
( 2018.11.29[Thu]『ジョルダーノ・ブルーノの形而上学』・参照)

(其の八へ続く)

2018.12.8[Sat]
『三部の教え 其の六』

『ジョルダーノ・ブルーノ』を識るためには
先づは徹底的に『グノーシス主義』を紐解かねばならない…
此れは途轍もなく骨が折れる作業である…

疲労感を感じ、少し横になると
以前読んだ『人間の建設』が、ふと目に入る…

『人間の建設』は『小林秀雄』と『岡潔』の対話集…
懐かしくページをめくる…

文系的頭脳の歴史的天才と理系的頭脳の歴史的天才による
並ならぬ『対話集』は、実にしみじみと、心に染み入るものがある…

わたしにとっての『下学上達(かがくじょうたつ)』は
まだ始まったに過ぎないのだ…

さて『三部の教え』へと話を移そう…

『三部の教え』を解読するに際し、非常に重要なことは
其の箇所が、どの層のどの概念に関係している論述であるかを
混同しないよふにすることです…

『位階制(ハイアラーキー)』は
論述の最初から一挙に提示はされていません…

其々の生成が時間軸の前後に於いて
語られていることを忘れてはいけないのです…

特に注意すべき点は
『境界』以下の三つの層の生成の順番が

つまり
『霊的なものたち』と
『経綸(心魂的なものたち)』の生成が

逆転していることなのです…

立ち返るためには…
( 『三部の教え 其の三』・参照)

(其の七へ続く)

2018.12.7[Fri]
『三部の教え 其の五』

最下層の『経綸(物質的なものたち)』の住まふ領域は
其処へ『霊的なものたち』と『経綸(心魂的なものたち)』が
下降(受肉・輪廻転成)してきている為に

『霊的秩序』
『心魂的秩序』
『奴隷的秩序』の
三層構造を成すことになります…

三層区分について、個々の概念や述語も
同じものが異なる意味のレベルに於いてのこととなるのです…

『教会』は三重の意味を持っている…

『上のプレーローマ』の御子以下のアイオーンたちから成る『上の教会』
『ロゴスのプレーローマ』の『霊的なものたちの教会』
『地上』に出現している『霊的なものたちの教会』

『楽園』は『境界』以下の三つの領域に
三度、繰り返されるのみならず
『三種類の木』を持っているのだ…

『三種類の木』とは…

『善の木』
『善悪の木』
『悪の木』である…

三つの層は…
下に位置するものが、上に位置するものの『模造(歪んだコピー)』といふ関係にあり
組織的な世界観となっているのである…

(其の六へ続く)

2018.12.6[Thu]
『三部の教え 其の四』

掲載画像は、5年以上前に開催した個展…
『ジョルダーノ・ブルーノの純粋気体に鳴り響く24の慈悲の鐘』の会場の様子…

『宇宙』または『世界全体』は
以下の三つの領域に区分されます…

『上のプレーローマ』
『ロゴスのプレーローマ』
『経綸(けいりん)』

『上のプレーローマ』内部に於いては
『父』
『御子』
『アイオーンたち』が
上下に三層を成しています…

更に其の『アイオーンたち』も
『第一の栄光』
『第二の栄光』
『第三の栄光』として
やはり、三層構造を成すのです…

『境界』の下の領域についても同様に…

『ロゴスのプレーローマ』を構成する
『霊的なものたち』と
『経綸(心魂的なものたち)』
『経綸(物質的なものたち)』として
やはり、三層構造を成すのです…

『経綸(心魂的なものたち)』は
三層の中央に位置しているので
『中央の者たち』と呼ばれているのです…

(其の五へ続く)

―――――――――――――――
さて、此処で話題を変えよう…
( 2018.12.3[Mon]・『三部の教え 其の一』・参照)にて
ご登場頂いた我が瞻仰する友人からまたメールあり…
彼からのメール(全文)を承諾を頂いたのでご紹介することとする…

(以下)
―――――――――――――――

佐々木様

公式ホームページで、先日のポール・ボウルズの独白に
ついて言及していただいたこと、とても感謝しています。

私にとって日々重みを増していく、このフレーズ。
自分自身がこれから何を見るべきか、何を聴くべきか、
そういった行動の指針になっています。

実はこの独白とは、昨年思いもかけない形で「再会」
するという得難い経験がありました。

2017年3月末、坂本龍一氏がオリジナルアルバムとしては
8年ぶりとなる新作『async』をリリースしました。
その中の1曲「fullmoon」にこの独白が使用されています。
まずは映画からサンプリングしたボウルズ自身の声。
それに続いて10の言語に翻訳されたこのフレーズが、
ランダムに語られていきます。
そして曲の最後に重々しいひとりの声が残る。
その声の主が、ベルトルッチ監督なのです。
教授自身は「映画監督だから語りも上手い」といったことを
インタビューで述べていました。

ポール・ボウルズによる原文は、以下の通りです。

Because we don't know when we will die, we get to think of life as an inexhaustible well.
Yet everything happens only a certain number of times, and a very small number really.
How many more times will you remember a certain afternoon of your childhood, some afternoon that is so deeply a part of your being that you can't even conceive of your life without it?
Perhaps four or five times more, perhaps not even that.
How many more times will you watch the full moon rise?
Perhaps twenty.
And yet it all seems limitless.

たったひとり、青ざめた月を眺めているような
静寂とノイズに満ちた曲です。

ryuichi sakamoto - fullmoon
https://www.youtube.com/watch?v=UyK1VYUY_BI

2018.12.5[Wed]
『三部の教え 其の三』

本日『岡村淳』氏が、数々の上映会を終え
ブラジルへと飛び立って行った…

今回の彼の上映会
『アウトサイダーを生きるなかまたち』に於いて
献呈した我が版画作品であるが…

実は『岡村』氏が…
『富山妙子』氏に、我が版画作品を
運んでくださっていた…

『富山妙子』氏は、わたしの作品の持つ『抽象性』に
たいそう喜んでくださったとのことで
此の上なく冥利に尽きるのである…

ちなみに『富山妙子』氏は
実物を観るまで『ジョルダーノ・ブルーノ』を
知覚していなかったらしい…

話は変わり…
『岡村』氏は、あらゆる荷物が重いといふことと
わたしの版画作品が大き過ぎたこと…

そして日本に於いて、まだ我が版画作品を
観たいといふ方々がいらっしゃるよふで…

学芸大学にある古本屋『流浪堂』様にて
次回の『岡村』氏の来日までの間
引き続き、展示されることとなりました…

このよふな偶然の展覧会は
非常にわたしにとっての喜びであります…

さて、前置きが長くなりました…
本日の本題に入ることと致しましょう…

-----------------------------

『三部の教え 其の三』です…

『下の教会(地球ハイアラーキー)』に位置している
『ロゴスの半身(マイナスの半身)』は
地球ロゴスのパーソナリティです…

上のプレーローマから、下のプレーローマに『転落』してきた
『ロゴスの半身(マイナスの半身)』は大混乱をし…
『物質世界(元素)』が現れます…

『ロゴスの半身(マイナスの半身)』は
ソフィアと同じよふに『回心』をします…
其れによって『心魂的世界』が発生…

更に『上のプレーローマ』に対して祈りを捧げることで
上から『救世主』が派遣され『光』を受けることで
『霊的世界(モナド)』が発生…
(造物主デミウルゴスは、此処に位置)

『ロゴスの半身(マイナスの半身)』は
『霊的世界(モナド)』を整えて、上のプレーローマを『模造』して
『ロゴスのプレーローマ』を創り出すのです…

つまり『上のプレーローマ』に
『キリスト(マイトレーヤ)』が存在しているのと同様に
『ロゴスのプレーローマ』にも
『キリスト(マイトレーヤ)』が存在することになるのです…
(教会も同様に存在します…)

われわれが住まふ『地上』に降り立つ『救世主』とは
実は『ロゴスのプレーローマ』の
『キリスト(マイトレーヤ)』…

造物主デミウルゴスが支配する世界が
『経綸(けいりん)(心魂的なものたち・物質的なものたち)』
となるのです

此の『経綸』は『エーテル体的なもの』で満たされています…
此の時点で、まだ『人間』は生み出されていません…

此処では説明し切れませんが…

全てのものが『三層構造』を成しており
『三重の意味』を持っているのです…

非常に緻密な『秩序』があることが分かるのです…

(其の四へ続く)

2018.12.4[Tue]
『三部の教え 其の二』

掲載画像は『ナグ・ハマディ文書』…

『グノーシス主義』の教説は、非常に多岐に渡っており
全てを把握するのは、ほぼ不可能なことです…

『グノーシス主義』の文献の多くが『キリスト正統派』の
反駁によって、多くが失われてしまったからです…

( 2018.10.16[Tue]『ナグ・ハマディ文書』・参照)

故に『現代神智学』を認識する上で『三部の教え』は
無視できないものとなってくるのです…

1945年に発見された『ナグ・ハマディ文書』は
そふいった意味に於いて『真のグノーシス文献』の大量発見であり
現代のわれわれの生活する世界に、多大なる影響を与えているからです…

『三部の教え』は、其の名の通り三部構成となって論述されています…
全体をもって提示しよふとするのは、其々の位階制(ハイアラーキー)であり
また、それがどのよふに生成してきたかといふことになります…

第一部…『超越的なプレーローマの世界の生成の次第』
第二部…『人間の創造の次第』
第三部…『地上に存在する三種類の人間種族の終末論的運命』

『三部の教え』に於いては超越的なプレーローマから
男神『ロゴス』の転落によって『宇宙』が創生されます…
『ロゴス』は二つに分裂し『ロゴスの半身』となります…

上のプレーローマに留まるもの(プラスの半身)と
境界から『中間界(ロゴスのプレーローマ)』に転落するもの
(マイナスの半身/サナト・クマーラ[世界神])に分かれるのです…

『プレーローマ』も二層構造になるのです…
つまりは『上の教会(太陽ハイアラーキー)』と
『下の教会(地球ハイアラーキー)』に…
(プトレマイオスの教説では、プレーローマは、ひとつ)

そして『キリスト(マイトレーヤ)』は『下の教会』に存在しています…
(プトレマイオスの教説では、マイトレーヤはプレーローマ界に存在)

全体の位階制(ハイアラーキー)としては…

『上の教会(太陽ハイアラーキー)』
『下の教会(地球ハイアラーキー)』
『経綸(けいりん)(心魂的なものたち・物質的なものたち)』
といふ秩序となっているのです…
(因みに、経綸とは国家を治め整えることの意)

此れが『現代神智学』…

是等を鑑みるだけでも
『現代神智学』と『グノーシス主義』は
完全に噛み合うことはないことが分かるのです…

(其の三へ続く)

2018.12.3[Mon]
『三部の教え 其の一』

先日『ナグ・ハマディ文書(福音書)』より
『フィリポの福音書』と『マリアの福音書』について
触れてきました…

( 2018.11.25[Sun]『フィリポの福音書』・参照)
( 2018.11.26[Mon]『マリアの福音書』・参照)

其れから此れまで、幾つかの
『宇宙創世神話』についても触れてきました…

本日から『ナグ・ハマディ文書(福音書)』より
『三部の教え』について紐解いてみたいと想います…

『旧約・ユダヤ』の其れ…
『グノーシス主義(ヴァレンティノス派プトレマイオス主義やバシレイデースなど)』の其れ…
『ヘルメス文書』の中の『ポイマンドレース』の其れ…

其れらの思想は非常に高度なレベルの教説であり
其々に思想内容もレベルの差もあるものでした…

其の中でも最奥義と言って良いのが
『ヘルメス文書』の中の『ポイマンドレース』…

『ポイマンドレース』については
とても駆け足で語れる代物ではないのですが
( 2018.11.14[Wed]『ポイマンドレースの天地創造』 〜 2018.11.18[Sun]『人間(アントローポス)の救済〜 其の2』・参照)
たったの5日間で、其の概要に触れてきました…

『ポイマンドレース』は、非常に抽象度が高い文献であるため
此れを読み解く際には、先づは『グノーシス主義』を
少しでも頭に入れておかなければなりません…

『グノーシス主義』だけでも、多岐に渡り
支離滅裂な思想ではありますが
其れは『イエス・キリスト』の本来の教義の内容を
しっかりと捉えたものであるからです…

然し乍ら、是等の思想はあくまでも
太陽系第三レベルの教説であることを認識することが重要です…
(注:第一レベルの教説はヒンドゥー教のブラフマー神に位置している)

特に『プトレマイオスの教説』は
最もスタンダードなものと言えるでしょう…

そして、わたしは『ポイマンドレース』に触れる前に
幾つも飛ばしてきたものがあります…
其の中のひとつが『三部の教え』です…

『三部の教え』は、1945年…
エジプトのナイル中流地域のナグ・ハマディといふ町の近郊で
発見された『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の中の一節です…

『三部の教え』は非常に重要であり
『グノーシス主義』の教説の中で
最も理論的、体系的に説明されているものだからです…

『三部の教え』は『グノーシス主義』の教義を受け継ぎ乍ら
『キリスト正統派』の教義にも接近しています…
『グノーシス主義』は『キリスト正統派』の教義を入門編として扱っていましたので
全てを邪険に扱うことは出来なかったからであります…

『三部の教え』に於いて、其れ等の思想は
いわば『折衷』の様相へと変化してゆくのです…

其れが『現代神智学』へと繋がってゆきます…

『現代神智学』は現代宗教に於いて
非常に巨大な勢力を保持しているため
此れを避けては通れないのです…

さて、ここから本題に入ってゆきます…

『プトレマイオスの教説』に於いては
『プレーローマ』に於いて『男神』と『女神』の『流出』といふ流れで
『宇宙』が創生されていき、其の中の女神『ソフィア』の転落によって
『天地創造』が成されていきます…

然し乍ら『神智学』に於いて
『サナト・クマーラ(世界神)』を崇める場合
『三部の教え』の中では『女神』は排除されて
全て『男神』となって終いまふのです…

其れは非常に奇妙な世界観ではあります…
『三部の教え』の中では『宇宙創生』は
女神『ソフィア』の転落ではなく、男神『ロゴス』の転落になるからです…

(其の二へ続く)

-------------------------

此処で話は変わり…

つい先日…
ベルナルド・ベルトルッチ監督が…
ローマの自宅で亡くなったことを
私は永遠に瞻仰する友人からメールで知らされたのです…

ベルナルド・ベルトルッチ監督…
『ラストエンペラー』
『シェルタリング・スカイ』
『リトル・ブッダ』

友人は更に語るのです…

『シェルタリング・スカイ』の最後に
原作者の『ポール・ボウルズ』によって語られる独白を…

此処にはまさに
『真実』が秘められていると感ずるのであります…

(以下)
―――――――――――――――――――
人は自分の死を予知できず
人生を尽きせぬ泉だと思う
だが、物事はすべて数回起こるか起こらないかだ
自分の人生を左右したと思えるほど
大切な子供の頃の思い出も
あと何回心に思い浮かべるか?
せいぜい4、5回思い出すくらいだ
あと何回満月を眺めるか?
せいぜい20回だろう
だが、人は無限の機会があると思い込んでいる…
――――――――――――――――――
坂本龍一
『リトル・ブッダ(Little Buddha)』
https://www.youtube.com/watch?v=aGGTPlfuJcI

2018.12.2[Sun]
『アウトサイダーから現代神智学の道へ』

掲載画像はドミニコ会の修道士
『ジョルダーノ・ブルーノ』の像…
(ローマ市内のカンポ・デ・フィオーリ広場)

本日、遂に『岡村淳』氏の
ドキュメンタリー映像を
目の当たりにする…

会場は『満員御礼』…
『さまよう人とともに マルゴット神父にきく』
『ブラジルのハラボジ』
…の二本立て…

会場には我が作品も飾って頂き、誠に幸甚なり…

岡村氏は一体、何者なのか…

そして映像の中に立ち現われる
不可思議な宗教観は何なのであるか…

其れに対して何かを語る術を
わたしは一切、持ち合わせていないと言える…

然し乍ら『生意気』にして感想を述べるのであれば
其処に『ゴッホの手紙』のよふな『告白』があるといふことだ…

更に、自分自身の
土俵に於いて感ずることとして…

神の目的意志によって貫かれた自然…
七つの遊星天や地上の収穫…
更には『人間(アントローポス)』の生命…

其処に漂ふ『秩序』とは一体何であるのかを
考えずにはいられないのである…

そして神の秩序の意志に服従して行動する『正義』とは
一体、どのよふなものであるのかといふ問いが
浮かび上がってくる…

其処に着眼するとなれば
神から世界への働きかけであり、その働きかけに対して
『人間(アントローポス)』の成すべき応答の
『正義』が立ちはだかる…

人間が神を認識することが『宗教』なのであるから
『宗教』と『正義』とは密接なのだ…

『怒り』 そして『宗教と正義』…

人間はどのようにして『正義』を全う出来るのであるか…

現実には誰一人として
完全に『正義』といふことは有り得ない…
アプリオリなことである…

神は人間に二つの可能性を与えた…

『魂』に従って『善』に向かうか
『身体』に従って『悪』に向かうか…

つまりは『ヘレニズム思想』であり
『法』の助けを必要とするのだ…

こふいった意味に於いて
『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の『三部の教え』の
『現代神智学』に繋がる思想が重要になってくるのである…

いよいよ、明日から『三部の教え』を
紐解いてゆこふと想ふ…

2018.12.1[Sat]
『アウトサイダーを生きるなかまたち』

先日(11月17日)、ブラジル在住の
ドキュメンタリー映像作家の『岡村淳』氏と
都内で落ち合い、会食を愉しんだ…

ブラジル料理の『シュラスコ』である…
(大変恐縮なことに、最終的に岡村氏にご馳走になって終う…)

先づ、岡村氏より、今回わたしが制作した『フライヤー』のお礼にと
ブラジルの蒸留酒『カシャッサ』を頂戴する…

『カシャッサ』は厳重に
何重もブラジルの『安売り日用品』の
フライヤーで包まれており
我が日常の昼間の仕事を想い浮かべて笑って終った…

私に於いては『アウトサイダー』で使用した
リトグラフ作品を献呈することができた…
此れで、我が作品は『ブラジル』に
渡ることになるのである…

岡村氏との話題は多方面に渡って
非常に充実した時間であった…
『富山妙子』氏のことであったり、
『宇宙創生神話』や『ジョルダーノ・ブルーノ』
ブラジル本土での生活など…

岡村氏の『見識』には常に圧倒されるばかりである…
其れはそうなのだ…
彼は常に『最前線』で世界を捉えてきたからである…

では、私の方はどふかと言えば…
私は一体『何者』なのであるかが分からない…

私の精神は常に、此の現実世界は
『夢』ではないのかと空想して終うのだ…

私の目の前にある光景や人物などが
実は幻であり
私はただ夢を観ているに過ぎないのではないかと…

此処で話題を変える…

明日、12月2日(日)は…
『岡村淳』氏の本年度最後の上映会
『アウトサイダーを生きるなかまたち』…

つまり此れが『平成』最後の上映会となるのか…
私も駆けつける積もりである…

詳細は以下をご覧ください…
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000119/20181014014078.cfm

それから、私の作品は
『日本』以外にも様々な国で所蔵されております…

今回の『岡村淳』氏へ渡った『ブラジル』をはじめ…
『ウクライナ』『フランス』『アジア諸国』
そして『イタリア』にも数点、渡っています…

其の中の一点が、あのマドンナも絶賛した
歌う修道女『シスター・クリスティーナ(Suor Cristina)』の手元に渡っていることは
私にとって、まさに奇跡としか言いよふがないことで…
非常に光栄なことなのである…

『シスター・クリスティーナ(Suor Cristina)』は
審査員の女性から『The Voice』に出演することに関して
『ローマ法王フランチェスコから、何のお咎めもなかったの?』と聞かれて
すかさず、巧みに切り返しの言葉を発している…

『シスター・クリスティーナ(Suor Cristina)』のアルバムCDは
本国イタリアやフランスでは発売直後に
『ゴールドディスク』を達成したのである…

『シスター・クリスティーナ(Suor Cristina)』の
『The Voice』での様子は以下の動画をご覧ください…

https://www.youtube.com/watch?v=TpaQYSd75Ak



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