2019.3.29[Fri] |
『賢者の心得』 |
掲載画像は 『フェニックス(不死鳥、火の鳥)』の『標章』… ( 2018.12.26[Wed]『三部の教え 其の二十四』・参照) さて『日本』に於ける『士農工商』… 其れに類する『人間(アントローポス)』は 存在しなければならないものである… 『武士』は『特権階級』として 『禄(ろく)』を貰い 『学問』といふ『責任』を伴ふ『道』を歩む… 『農民』は、激しく働いていたから 『責任』といふものを問われなかった… 『ジョルダーノ・ブルーノ』の『哲学』に於いても 其れは同様のこととして存在している… 其の理由は… 『哲学者』や『思索家』などの 『賢者』たちは、存在することが叶わないからである… 其れ故に… われわれ『人間(アントローポス)』は 『自然』を『破壊』してはならない… 其れは畢竟『宇宙』の 『ミクロコスモス』と『マクロコスモス』の問題である… 其処に漂ふ『優劣』と『明暗』の問題に於いて 『区別』してはならぬことを意味している… 『相応しいもの』『相応しくないもの』… 此の『区別』は、われわれ『人間(アントローポス)』の 『記憶』でも同様に生じており… 『フェニックス』と『認識(グノーシス)』されている われわれの『実体』に関するもの… さて、話は変わるが… 『人生』に於いては 敢えて『損』をする場面も必要である… 其れは『他者』に『逃げ道』を 『用意』することである… 其れが『賢者』の『心得』なのだ… ――――――――――――――― 『ROMA』 https://www.youtube.com/watch?v=p_e3yWI_NHA&frags=wn |
|
2019.3.24[Sun] |
『自由といふ風土』 |
掲載画像は『ローマ』の 『サンタンジェロ城(聖天使城)(Castel Sant'Angelo)』… (世界遺産) わたしが『制作』をする際の 『世界の中心地点』と見据えている『場所』… また『大天使ミカエル』が 『君臨』する『城』である… かつて『ジョルダーノ・ブルーノ』が 『幽閉』されていた『場所』でもある… (其の当時は、監獄であった…) さて、話を変える… 映画『天使と悪魔』… 此の中に『反物質』といふものが現れる… 『天使と悪魔』の中に於いて 『反物質』とは『ヴァチカン(ローマ教皇庁)』を 『破壊』しようと目論む『悪魔』である… もちろん『反物質』とは 此の『映画』に於ける『虚構』其のものであるが… 此れを観るに際しては 『キリスト正統派』に近接した『グノーシス主義』… 『ナグ・ハマディ文書』へと 『思考』を巡らさざるを得ない… 此れは、わたしの勝手な『推察』であるので 『正誤』は問わないで貰いたい… 其れは畢竟『神智学』に於いての 『ロゴスの半身(プラスの半身)』といふよりは… 『ロゴスの半身(マイナスの半身)』のことを 指しているのであろふと『想像』して終ふのだ… 『ロゴスの半身(マイナスの半身)』は 『ヴァレンティノス派プロレマイオスの教説』に於いては 『ソフィア』の『半身』である『アカモート』のことである… 『天使と悪魔』には 『サンタンジェロ城(聖天使城)(Castel Sant'Angelo)』も現れる… 此の『天使と悪魔』の『背景』には 『ヘルメス・トリスメギストス』『古代エジプト神学』 『ヘレニク・グノーシス主義』 『エッセネ派』『サナト・クマーラ(世界主)』 『キリスト正統派』『ミトラ教』『マニ教』 『ゾロアスター教』『東方三博士』 『カルデア神学』『アレキサンドロス大王の東方遠征』 『バビロンの捕囚』など… その他、数多な『教説』や『歴史』が 『混交』して存在しているのだ… ( 2018.12.4[Tue]『三部の教え 其の二』・参照) ( 2018.12.17[Mon]『三部の教え 其の十五』・参照) ( 2018.12.18[Tue]『三部の教え 其の十六』・参照) ( 2018.12.19[Wed]『三部の教え 其の十七』・参照) ( 2018.12.21[Fri]『三部の教え 其の十九』・参照) ( 2018.12.24[Mon]『三部の教え 其の二十二』・参照) ( 2018.12.25[Tue]『三部の教え 其の二十三』・参照) さて、話は逸れて… 『ジョルダーノ・ブルーノ』の思考に於いては 目標の『現実化』は始めから終わりまで 『宗教』によって測られている… 『水』『気』『火』『土』の『四元素』 そして『宇宙』を支配する 第五の元素『エーテル質』… 『ローマ・カトリック』の信仰 つまり『キリスト正統派』は其の特殊性に於いては… 『ヘルネス・トリスメギストス』や『グノーシス主義』に勝る いかなる要素も保持していないのだ… 此れらの信仰の『大きな権限』 は イタリア独自の『政治的共同体』を其のまま 保持し続けることに対して成立された 『尽力』によって明瞭となる… ( 2019.3.3[Sun]『イタリアに於ける〈生〉とは』・参照) 『ジョルダーノ・ブルーノ』は 世界に存在する多種多様な文化と伝統を迎え入れ 常に『敬意』を示すことに拠り『道徳的』であったのだ… これは、つまり 『ジョルダーノ・ブルーノ』は 『宗教的ドグマ』に関する処理に対して 『無関心』であったことを意味している… 『ジョルダーノ・ブルーノ』の『宗教的寛容』は どのよふな『信仰』も『真』ではないといふ『確信』… 其の『確信』によって『哲学者』は 『自由といふ風土』を獲得するのだ… 故に『肯定的ロバ性』は 同時に『否定的ロバ性』要素をも意味している… ――――――――――――――― 『天使と悪魔』 https://www.youtube.com/watch?v=GLC4Z0-l5Vo&t=30s |
|
2019.3.23[Sat] |
『秘められた法』 |
『芸術家』とは 『生涯現役』でいられる『職業』だ… 『喜ばしい』よふな 『苦しい』よふな… 『複雑』な気持ちになるのである… わたしの『浪人時代』は ひたすらに『惨めな時代』であった… 当時『目白』に住んでいた『叔父』の家に『居候』をし乍ら 『新宿』の『美大受験』のための『予備校』に通った… また『大学』に通っていた頃は… 少し緩やかに『真剣さ』と『適当さ』の織り混ざった最中で 同じよふな事は、感じつつも… 今のよふに『深く』は捉えていなかった… 今の『わたし』が感じることは… 自分の『人生』の残された『時間』の中で 一体『何』を遺せるのだろふか…といふことである… 『身体』は至って『健康』であり 『主治医』からも『お墨付き』である… 然し乍ら『精神』は急速に『老境の時代』へと 『突入』しつつあるよふだ… 今から想えば『大学時代』は 一番『自由』に『絵』を描ける『時間』があった… 其れなのに『講義』をサボっては 『学食』に入り浸り 『夜』は『友』と飲み明かすといふ ある意味『けしからん時代』であった… 然し乍ら… あの『4年間』は、今現在の『わたし』にとって 『自分』を『成長』させる『特別な時間』であったのだ… 『親』からの『仕送り』があり 『好き勝手』に『自由気儘』に生きていた『時代』… 『禄(ろく)』を貰っていたから 『責任』があった『時代』を『植木等』のよふに 誠に『無責任』に日々、送ったのである… 想ふよふに『作品』が生み出せないといふ 『ジレンマ』はあったが… 色んなことに『興味』を持ち 色んなことに『チャレンジ』した… 『選択肢』が沢山あった『時代』だったのである… 今のわたしは 其の沢山あった『選択肢』を 『ひとつ』に絞ったのだ… 其れが『ジョルダーノ・ブルーノ』である… あとは、じっくりと『頂上』を目指して 歩いてゆくだけ… 『溢れる想い』を『物質化』して 『創造性』を解き放つ… わたしたち『人間(アントローポス)』の 『人生』の『目的』は 云ふべくもなく 『終わりなき成長』なのだ… 何処までも『成長』してゆくのだ… 『心のおもむくままに』… さて『話題』を変えよふ… 『ジョルダーノ・ブルーノ』に於いて 『野蛮』である『ケンタウロス族』は 『二元論』的な『司祭』の 新しい『観念』其のものである… 故に『政治的権力』と『宗教的祭祀』は 守護され『カトリック王政』と一致… 『平和への要請』に加え 『不均衡の緩和』が、社会に於いて 『ローマ人』の『使命』を『助力』する… 其処に『秘められた法』 畢竟『魔術』が『維持』されるのである… 以下… 『ジョルダーノ・ブルーノ』著 『傲れる野獣の追放』より一部抜粋… (以下) ―――――――――――――――――― それゆえに、神々はすべての情念から解放されているので、 彼らの抱く怒 りと快楽は、能動的なものだけであり、 受動的なものは何もないのです。 だから、彼らが罰で脅し報酬を約束するのは、 彼らの中に生じる善悪ゆえ にではなく、 民衆の市民的対話において生じる善悪ゆえになのです。 この 市民的対話のためには、 人間の法と法規は十分ではないので、 神々は神的 な法で援助するのです。 したがって、神々が畏敬や畏怖や愛や礼拝や尊敬 を求めるのは、 人間たち自身の利益以外の別の目的のためである、 と考え ることは、不適切で、愚かで、不数で、非難に値することなのです。 実際、 神々は自らがもっとも栄光に満ちた存在であり、 彼らに対して外部から栄光を付け加えることはできないので、 彼らが法を制定したのは、栄光を受 け取るためではなく、 栄光を人間たちに分け与えるためだったのです。 ---------------------------- 『安室奈美恵』 『Hero』 https://www.youtube.com/watch?v=YJt7KRmv2bQ 『スクールウォーズ』 『Hero』 https://www.youtube.com/watch?v=ooeRrFk26fo 『植木等』 『だまって俺について来い』 https://www.youtube.com/watch?v=Iy-A_wdYrXQ |
|
2019.3.22[Fri] |
『ジョルダーノ・ブルーノの記憶術』 |
昨日… 『安打製造機』 『イチロー』の『闘い』が終わった… 彼もまた偉大なる『魔術師』であった… わたし自身も 『身体』の『衰え』は 如何ともし難い… 『天命』を悟る時期に 徐々に、近づいているのである… 『孔子』の時代… 其れは『老境の時代』である… 其れ故『天命』を『認識(グノーシス)』することとは 『己の限界』を『認識(グノーシス)』することに他ならない… 畢竟… 『諦めよ』といふことである… さて本日も、直ぐには 『本題』へは『移行』しない… 『ルーマニア』の彫刻家 『コンスタンティン・ブランクーシ』に 触れてみたいと想ふ… (1876年2月19日 - 1957年3月16日) 彼は極めて単一的な 『抽象彫刻』を『創造』した人物… 彼の遺した著名な『言葉』がある… わたしが『浪人時代(19歳)』の時に知ったもの… (以下) ――――――――――――― 自分が芸術家であることを忘れるな 傲るな、恐るな、自分に自身を持て 神のように創造し 王のように命令し 奴隷のように働け ――――――――――――― 此の『言葉』は、言い得て妙だと 今でも想っている… 『芸術家』の中に 『三層のハイアラーキー』が存在している… ――――――――――――― @『神』 A『王』 B『奴隷』 ――――――――――――― さて、此処からが わたしの勝手な『解釈』へと移行する… 『言葉』の内奥に潜むものに 着眼するのだ… わたしの勝手な『解釈』なので 『正誤』はあるかもしれないが… やってみなければ 分からないことも存在しているのだ… 先づ『グノーシス主義』の最もスタンダードな 『ヴァレンティノス派プロレマイオスの教説』に『思考』を置き換える… 故に『ミトラ教』的な『視点』からの考察である… ( 2018.9.30[Sun]『イエスの教え…グノーシス』・参照) ――――――――――――――― 【 @『神』について…】 此の問題については 『第十天(プレーローマ)』に位置する 不可視の『至高神(プロパトール)』であるか… 其れとも『七つの遊星天(ヘブドマス)』に位置する 『造物神(デミウルゴス)』であるか… 『二者択一』である… どちらに『相当』すると考えるのが『適切』であるかといふ 『大問題』が立ち現れてくるのだ… わたしは『直感的』に、此の場合の『神』は 『造物神(デミウルゴス)』であると考える… 此れには理由があって… 『至高神(プロパトール)』は われわれ『人間(アントローポス)』が住まふ 『物的世界』とは一切 関わりを持たないからである… 『グノーシス主義』に於ける『至高神(プロパトール)』は まさに『叡智界(プレーローマ)』… 『叡智界(プレーローマ)』は 『至高神(プロパトール)』と『エンノイア』から 三十柱の『神々』が『流出』した『充満領域』… 『流出』とは『至高神(プロパトール)』が 既に其処にいた『神々』を『言葉』によって 呼び出したといふことだ… 一方の『造物神(デミウルゴス)』は 其の『プレーローマ』から『転落』した 『ソフィア』の『半身』が『アカモート』となり 更に『ソーテール(神格・救い主)』によって 『パトス』から解放されて『誕生』したもの… 畢竟『ナグ・ハマディ文書』の 『三部の教え』に於ける 『ロゴスの半身(マイナスの半身)』である… 故に『造物神(デミウルゴス)』は 『霊(モナド)』を保持しておらず また『叡智界(プレーローマ)』の 『存在』を知らないのである… 『造物神(デミウルゴス)』は 『旧約・ユダヤ教』に於ける 『天地創造神』であり… 可視的な『物質世界』に君臨… 『プラトン主義』に於いては『善なる神』であるが 『グノーシス主義』に於いては『悪の神(サタン)』である… また『怒りの神』とも呼称される… ただ、此れだけを並べただけでも 何となく『合点』がいくのである… ――――――――――――――― 【 A『王』について…】 『王』に『相当』するのは 如何と捉えるべきか難しい… 『神智学(カバラ)(マイトレーヤ)』と 捉えるのが相応しいよふに感じる… 『グノーシス主義』的な解釈で云えば 『イエス・キリスト』や『マリアの福音書』であろふか… ( 2018.11.26[Mon]『マリアの福音書』・参照) ( 2019.2.12[Tue]『二つのロバ性 〜 運命の髪』・参照) また『ナグ・ハマディ文書』の 『経綸(けいりん)』の構図を紐解くと 『物質的な者たち』の『霊的秩序』… 『地上に降下した選び』であり『肉にある協会』である… ( 2018.12.24[Mon]『三部の教え 其の二十二』・参照) ――――――――――――――― 【 B『奴隷』について…】 此れもまた『ナグ・ハマディ文書』の 『経綸(けいりん)』の構図を紐解くと 『闇の者たち』であり 『左の者たち』であり 『模写の者たち』のこと… つまり『異邦人(無知)』のことである… ( 2018.12.18[Tue]『三部の教え 其の十六』・参照) ――――――――――――――― 面白く話が纏まるかと『期待』したが 何とも『お粗末』な内容となって終った… 故に、わたしは『消化不良』で 『面白くない』のだ… 最近の、わたしの『備忘録』は さまざまな『宗教』や『哲学』が 入り乱れ、まさに『カオス』である… ( 2018.12.20[Thu]『三部の教え 其の十八』・参照) さて、前置きが長過ぎた 『本題』へ入ろう… 『ジョルダーノ・ブルーノ』は 彼の『記憶術』の中に於いて… 『ローマ人』の経験の中に 『流動性』や『葛藤』や『変化』を 喜んで『迎え入れる』肯定的な態度を見ている… 『ジョルダーノ・ブルーノ』にとって 『文明』の系統は唯一のもの… 其れは『エジプト』から『ギリシャ・ローマ』へ 『宗教』に関しては『逆説的なキリスト教』… そして『ジョルダーノ・ブルーノ』の時代に於いての 暗黒と『新たなる野蛮』としての『ルター派』 『プロテスタントのカルヴァン派』が位置付けられている… 『ジョルダーノ・ブルーノ』は『記憶術』のフレーム内に於いて フランス国王『アンリ3世』を『太古文明の継承者』と考えている… 以下… 『ジョルダーノ・ブルーノ』著 『傲れる野獣の追放』より一部抜粋… (以下) ―――――――――――――――――― それゆえに神々はローマ人を 他のいかなる民にもまして賞賛したのです。 なぜならば、彼らは、彼らの偉業を通じて、 他の国民以上に神々に近づけたのですから。 実際、彼らは、征服された者たちを許し、 傲慢な者たちに戦いを挑み、 危害を与えた者の罪を免除し、恩人を忘れず、 窮乏する者たちを援助し、困窮する者たちを保護し、 虐げられた者たちを立ち直らせ、 乱暴な者たちを押さえつけ、功多き者たちを推奨し、 犯罪者たちをおとしめて、験と斧とで死の恐怖に陥れ、 彫像と巨像で功労者たちを栄誉ある地 位に置いたのです。 それゆえに、この国民は、今まで地上に存在した国民の中で、 無作法と野蛮からもっとも遠ざかり、 もっとも洗練され、高邁な企てにもっともふさわしいのです。 ローマ人の良き習俗と偉業は、名誉と幸福は、 彼らの法と宗教と軌を一にしているのです。 (中略) ここでアポロンが提案した。この三重冠はどうなるのでしょうか。 そし てこの王冠は、何のために定められているのでしょうか。 ユピテルは答えた。運命の定めと神の霊の導きと自らの大功によって、 これはまさに、雅量あり強力で戦闘的なフランス国の王である、 無敵なるアンリ3世のものだ。 アンリ3世は、フランスとポーランドの王冠に続いて、 この王冠を手にすることを約束されている。 このことは、王が自らの即位の初めに、 あの高名な紋章を自らのものと定めたことからも確証される。 この紋章では、 二つの低い王冠が第三のさらに 顕著で美しい王冠と一体をなし、それに魂 を与えるかのようにして, 第三のものは天に留まるという言葉が付け加 えられているのだ。 ―――――――――――――――――― 『イチロー』 https://www.youtube.com/watch?v=y9KxdY0J5y0 |
|
2019.3.21[Thu] |
『宗教の貢献』 |
掲載画像は 過去の『個展』の際の『ディスプレイ』… 『骨格』は 『漸新世後期』から『更新世』にかけて栄えた 『ネコ科』に属する『食肉獣』の 『タイガーサーベル(剣歯虎)』… さて、本日は『春分の日』 『桜』が咲き始めている… 『桜』とは『日本人』たる 『喜び』であり『儚さ』である… 以前『花咲爺(はなさかじじい)』について触れたが わたしの『人生』の中で 此れに相当する出来事を起こした『人物』が 『実在』するのである… ( 2019.2.26[Tue]『純粋持続』・参照) 其れはまさに『純粋持続』の 『苦悩』と共にあったのだ… わたしは、其の『苦悩』に 常に『尊敬の念』を抱いて 日々を過ごしている… 常々『古代宇宙創生』といふ 『虚構の世界』について触れている 『我が身』にとっては 如何ともし難い想いなのである… さて『話題』を変えよふ… 本日『春分の日』は 我が『父親』の『誕生日』である… 我が『父親』は わたしとは全く違った『性質』を保持しており 『超理系』である… 過去『捕鯨船』の『銛(モリ)』が 真っ直ぐに『飛行』するよふに『設計』したり… また『福島原発』や『女川原発』の 『エンジニア』でもあった… 『東日本大震災』の当日は 我が『父親』は『女川原発』の 『地下二階』に『勤務中』… 『原発』は『水漏れ』が 『危機的状況』を起こす為… 『揺れ』が収まった後に 様々な『排水管』を確認し 最後に『原発施設』から『避難』… 『目の前』には『津波』が 押し寄せていたらしい… 『女川原発』も あと『津波』が『20センチ』高ければ 『福島』と同じ状態であったろふ…と聞いている… 其れにしても『福島』のことを想ふと 『やるせなさ』が募る… 『原発』とは厄介な『代物』である… 『稼働』していよふが 『停止』していよふが 『冷却システム』が『破壊』されれば 同じことが起こるのだ… もはや『後戻り』は 『不可能』としか言いよふがない… さて、此の『複雑な問題』については わたしは決して『イデオロギー』には染まらない… 『人間(アントローポス)』は 一体、どうすれば良いのであるか… ( 2018.12.1[Sat]『アウトサイダーを生きるなかまたち』・参照) ( 2018.12.24[Mon]『三部の教え 其の二十二』・参照) ( 2018.12.28[Fri]『三部の教え 其の二十六』・参照) さて『本題』に入る… 『オウディウス』著の『変身物語』… 故に『アクタイオンの死』や 『アモルとプシュケー』は 『勝利』の名のもとに存在している… ( 2018.9.12[Wed]『アクタイオンの死』・参照) ( 2018.9.28[Fri]『アモルとプシュケー』・参照) 『勝利の手綱』を渡りきることが大切なのだ… 『神的な美の把握』を『認識(グノーシス)』することである… 『宗教』とは『具体的な姿』を『探求』するものである… 『抽象的な概念』では不可能なのだ… 寧ろ積極的に『変化と競合』し 『時代』と共にあるべきものである… そして『ジョルダーノ・ブルーノ』著の 『傲れる野獣の追放』に於いても 『ユピテル』は『モモ』のよふな思想に対し『闘い』を挑み乍ら 『イエス・キリスト』の『布教活動』の 『多面性の象徴』を『認識(グノーシス)』している… 『宗教』は『政治的』かつ『歴史的』な『生の現実』に 『貢献』するものでなければならないのだ… 以下… 『ジョルダーノ・ブルーノ』著 『傲れる野獣の追放』より一部抜粋… (以下) ―――――――――――――――――― ユピテルの判決によれば怠惰な輩たちのために 彫像を建立することは許されません。 やつらは、共和国の敵であり、 人々の良き習俗や生活を害する 言葉や夢想を述べるからです。 むしろ、神々への神殿を造営し、 法と宗教への遵幕を促す人々にこそ、 彫像を建立するべきなのです。 ここで言うところの法と宗教とは、 人々に雅量を与えると同時に、 祖国に奉仕し人類に貢献することから生じる 栄誉を熱意をもって追求するように促すもののことです。 このような法や宗教から、良き習俗や 文芸や武道を学ぶための大学が創設されたのです。 また、歯学者や耳話の語り手に賞賛を送る人々に、 愛や名誉や質を約束しないように気をつけなければなりません。 むしろ、自分や他人の知性を完成させるために、 地域社会に奉仕するために、雅量や正義や 同情から生まれる行為を尊奉するために、 尽力する人々に、これらの愛や名誉や賞は 約束されるべきなのです。 ------------------------------- 『国宝 阿修羅像』 https://www.youtube.com/watch?v=WIU8CTn6VMg |
|
2019.3.18[Mon] |
『キロンの神秘』 |
此の作品は 『東日本大震災』の年に 『制作』した『版画作品』である… 此の世に永続的なものも 頼ることのできる不変の拠り所も存在しないのだ そんな明らかで疑ふ余地のない事実によって 意識が貫かれたときに感じる 締め付けられたよふうな心の痛み… 其れは畢竟 『郷愁(サウダージ:Saudade)』である… さて、わたしの『備忘録』は おそらく多くの『誤解』を伴って 読まれていることが多いと常々感じている… 其れについては 『致し方ない』ことだと想ふ… 『真意』を『認識(グノーシス)』して 読まれている方は 極々、僅かであろう… わたしの此の『備忘録』は 此の世の『愛しき神秘』のことについて 触れているのだ… 其れを『認識(グノーシス)』する為には 己自身との『ストイック』な『闘い』が必要なだけ… 『狂気』とはまさに 『人間(アントローポス)』が保持する 此の上なく『優しく美しい世界』… わたしは 此の世界の『悪徳』が『追放』された 『美徳の世界』に、常に寄り添っているのだ… ( 2019.2.11[Mon]『植物の超神秘的感覚的世界』・参照) ( 2018.10.24[Wed]『宇宙は輝き、旅を忘れる』・参照) 『ジョルダーノ・ブルーノ』は まさに、其れを『実践』した人物である… 彼は一体、どのよふに此の『宇宙』を捉えていたのであろう… 其処に着眼することで、わたしは己の『精神』を 何とか支えているのに過ぎない… 故に、誰しもが『言葉』を発信すれば良いのだ… 『心のおもむくまま』に… 其れが『哲学』といふもの… 其れが、わたしにとっても 『追い風』となるのだ… 其れがまさに『ルネッサンス』… さて、また暫くの間 此の『備忘録』は『沈黙』することにする… さて、昨日の続きの話である… 『ジョルダーノ・ブルーノ』が 著書『傲れる野獣の追放』で言いたかったことは… 『イエス・キリスト』の 『否定的イメージ(一面性の象徴)』… 其れから『イエス・キリスト』の 『肯定的イメージ(多面性の象徴)』である… 如何なる『弾劾』が『イエス・キリスト』の 『二重の本性』を攻撃したとしても 『肯定的イメージ(多面性の象徴)』の 『価値』を薄めるものではないからである… 其れは『キロン』の『半人半馬』の 『肉体の特異性』と同じことなのだ… 『ユピテル』は『モモ』を以下のよふに 説き伏せている… 『この事柄の神秘は隠れており偉大であり、 おまえの理解を超えている。 だから、高尚で偉大な事柄としておまえは それをただ信じなければならない』 つまり事柄の『秘義性』故に そふはならないと言っているのだ… ( 2018.12.14[Fri]『三部の教え 其の十二』・参照) 『キロン』の『神秘』は『変身』の可能性… 『二重の本性』が『変容』の『肯定的過程』を 『認識(グノーシス)』しているのだ… 『人間(アントローポス)』は 己の持つ『本来的自己』を『認識(グノーシス)』して 『野獣性』から離脱して『上昇』しなければならない… 其れと同じくして… 『神々』もまた己の『神的本性』から 離脱する必要があるのだ… 己の持つ『野獣性』を知らない『神々』は 『至高の域』に留まることは不可能であるのだ… 以下… 『ジョルダーノ・ブルーノ』著 『傲れる野獣の追放』より一部抜粋… (以下) ―――――――――――――――――― 雄ヤギは、牧神パーンのことである。 パーンは、大蛇ティフォンの攻撃を逃れるために、 エジプトへと逃避し野獣に変身するよう 神々に忠告した(について)は 何も言うことはあるまいとユピテルは主張する。 実際、雄ヤギには、大蛇 ピトンに打ち勝つ方策を われわれに教えるという大功があるのだから、 天に座を占めるに適任であると思われる。 あの戦に勝利するためには、神々が野獣に 変身することが必要だったが、 この教えをわれわれは進ヤギから受けたのだ。 雄ヤギは、自らを野武にすることができない者は、 高位に留まることができないと、 われわれに知らせてくれたのだから。 ―――――――――――― 『マレーナ(Malena)』 (ジュゼッペ・トルナトーレ:監督) (モニカ・ベルッチ:主演) https://www.youtube.com/watch?v=W-YD2Y8ojYE |
|
2019.3.17[Sun] |
『わたしの技法』 |
掲載画像は『ゴッホ』の『向日葵』… (2019.2.28[Thu]『衝撃』・参照) さて、昨日から『本格化』した『制作』に於いて ふと、想ふところがあったので、綴っておく… わたしは元々『色彩』を上手く操れない… 故に『モノクロ調』の作品が圧倒的に多い… 此れは、自ら好んで其のよふにしている訳ではなく 『生まれつき』の『性質』である… わたしの『観察眼』は 分かりやすく例えるならば… フランスの画家『ジャン・シメオン・シャルダン』や イタリア・ルネッサンスの画家『アントネロ・ダ・メッシーナ』に 近い『性質』を保持している… 此の場合に於いては『画風』ではなく あくまでも『性質』の問題である… 『素描』に於いても『全体感』を最初に捉えるのではなく 『部分』から『全体』へと『派生』する… 例えば『肖像画』を描かせれば いきなり『眼』から克明に描き始め 徐々に、その他の『部位』を描いてゆくのだ… 其れは、わたしが『光』に反応する 『観察眼』を保持していることを意味している… 『色彩派』のよふに『形態』に着眼するタイプ (事物の稜線を追求する)ではないのだ… また、此れは… わたし個人に於いて起こる事象なのだが ある『色』と『色』の組み合わせは わたしにとっては『色彩』が 全く観えなくなるといふことがある… 例えば『印象派』の『モネ』は 非常に好きな『画家』ではあるが わたしが『モネ』の『絵』を観た場合 『モノクロ』にしか観えないことが、非常に多いのだ… 特に、其の事象について『脳科学的』に 『分析』したこともないので理由は分からぬが わたしの中で、何かの『許容』を超えるのかもしれない… さて『わたしの技法』と言い乍ら 前置きが長過ぎた… 『わたしの技法』… 此れについては 他者から良く『質問』されることであり わたしにとっては 常に『答え』に困る問題なのだ… 『技法』といふよりは 『メチエ(métier)』の方に話が移行してゆくので いささか話が、ややこしくなるからだ… わたしの作品のテーマには 必ず『記憶』といふものが伴っているし… 更に『アンリ・ベルクソン』の『純粋持続』の問題が わたしの目の前に、大きく立ちはだかるからだ… 例えば… 『アンリ・ベルクソン』の掲げる『五〇頭の羊』の問題が其れである… 『眠れぬ夜』に数える『羊』についてのことである… あくまで『アンリ・ベルクソン』は 『五〇頭の羊』と言ったまでのことであり… 其れが、実際のところ『一頭』なのか『三〇頭』なのか 『五〇頭』なのか、其れ以上なのかは分からない… 以下に引用してみよふ… ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー さきにのべたように、 ここでも『空間』という語がでてくるが、 これはおそらく前の『理念的空間』とおなじものなのだろう。 したがって、それがどのようなものなのかよくわからない。 さらにわからないのが、この『空間』と対立して登場する『持続』である。 一頭一頭思いうかべる場合には『持続のなかに位置する』という。 しかし『五〇頭の羊を一頭ずつ切り離して思いうかべることはできても』 それは一頭だけなので、五〇頭すべてを思いうかべることはできないという。 つまり、わたしが数え進めるにつれて、その数が増えていくためには、 つぎつぎとあらわれる羊のイメージをすべて保持していて、 それらのイメージをわたしの観念のなかでつぎつぎに更新される 新しい羊に並置しなければならない。 しかし、このような並置がおこなわれるのは 空間においてであって、純粋持続においてではない。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー わたしにとっての『技法』『メチエ(métier)』は 常に此のよふな『瞬間刹那』の中… 『数』を数えるよふな只中で行われるのだ… 故に『設計図』は一切、無し… 常にモヤモヤとした状態の中から 立ち現れて来るものを『捕獲』する方法なのだ… つまり『時間』とは『持続』であり 『持続』とは『記憶』である… では、己とは一体、何者なのか… といった問いである… 此の世界は、もちろん 『簡単』に語れる物事は多いかもしれない… 然し乍ら『難解な問題』が 多数『存在』していることも また『真理』なのである… わたしは、どちらかと云えば 『後者』の方に『可能性』を 見出して終ふ『嗜好』があるよふだ… さて『アンリ・ベルクソン』の『哲学』は 単なる『哲学』の一派ではないことは アプリオリなことである… 『自然科学』や『宗教』や『神秘思想』とも 異なった仕方で『展開』されたのだ… 彼には、どれ程の『苦難』があったのであろうか… 其れは、以下の『アンリ・ベルクソン』の 苛立った『文面』からも見受けられる… ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー わたしの『直観』が本能ないしは感情であると 主張する人についてはなにもいうまい。 わたしが書いたもののなかには、 ただの一行もこのような解釈を許すものはない。 わたしが書いたものすべてをみれば、 それとは反対のことが書かれている。 わたしのいう直観とは反省(熟慮)なのだ。 ところが、わたしが事物の根柄にある動きにたいして 注意をうながしたので、ひとはわたしが、 なんだかわからない精神の弛緩をすすめたといった。 またわたしが、実体の恒常性とは 変化の連続性であるといったので、 ひとはわたしの学説を不安定性の弁護だといった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『アンリ・ベルクソン』のいふ『直観』とは まさに『ゴッホの眼』のよふなものだ… 『狩人アクタイオン』のよふな『眼』である… われわれが外界の事物を、通常『見る』際は 『既成の語』によって『分節』している… 『机』があって 其の上に『向日葵』が乗っている…と 其のように淡々と『見る』ことによって 『暮らし』は、何事もなく過ぎ去ってゆく… 然し乍ら『アンリ・ベルクソン』や『ゴッホ』… もちろん『ジョルダーノ・ブルーノ』にしても同様であるが… 彼らのよふな『賢者』たちにとっては 其のよふな単純な『世界の区分け』は 存在していないのだ… 微細で複雑な『トーン』 光線による微妙な『ヴァルール』 『歪み』や『淀み』や『凹凸』などなど… 『既成の語』によって『分節』されている事物が ずるずると『連続』してゆくのだ… 其処に漂っている『イマージュ』を 際限なく『多様で緻密なあり方』で『凝視』する… 『人間(アントローポス)』が 此のよふな『眼』を『獲得』するためには… 『日常』を分かりやすく『理解』する方法を 一切のごとく捨て去り 『純粋持続』の最中『無垢な眼』で 『見る』ではなく『観る』ことをしなければならない… そふでなければ『対象』は 『真の姿』を現してはくれないのだ… 此れが『アンリ・ベルクソン』の 『直観』という方法なのだ… 因みに『直観』とは『感情』や『本能』ではない… 『意識的な努力』であり 『見方の反省』であり『破壊』なのだ… 此の世に永続的なものも 頼ることのできる不変の拠り所も存在しないのだ そんな明らかで疑ふ余地のない事実によって 意識が貫かれたときに感じる 締め付けられたよふうな心の痛み… 因みに話は変わって… 『ソルフェジオ周波数852Hz』は 『直感力』と『集中力』を高める『周波数』である… |
|
2019.3.16[Sat] |
『寄生』 |
暫くの間『休息』しよふと想っていた 『備忘録』であるが… ついつい 綴らねばならぬ想いに駆られて終ふ… 『制作』は本日より『本格化』… 『作品』は、此の『備忘録』では まだ明かさぬが… 『数ヶ月』ぶりの『制作』であったので 『始動前』には若干の『不安』もあり 『腰』も重かったのであるが 『開始』してみれば『集中力の塊』である… 此れまでの『備忘録』を『圧縮』して 『アウトプット』することに 其れほどの『困難』は見受けられない… 少し『一安心』… わたしは、此の半年余り 『備忘録』のみに『集中』してきた… 『積極的』な『精神』の 『追い込み』をしてきた積りである… 其れは、わたしの中での『確信』があったからであり 沢山『荒波』に揉まれ『傷ついた方』が良いと想ったからなのだ… つまり『精神』の『免疫』… 『メンタル・タフネス』を鍛え上げること… 己を『変身』させる『原動力』や『糧』である… 其れを元に『ダイナミック』な 『行動』を起こすのだ… 『備忘録』は、気が向いた時に やはり『継続』してゆくとする… 『軽やか』に… そして『優しく』… さて『ジョルダーノ・ブルーノ』に話を移す… 『ローマ神話』に於いて 『野蛮』である『ケンタウロス族』が存在している… 然し乍ら、此の『ケンタウロス族』に 半人半馬の『キロン』といふ『変わり者』の『賢者』がおり 『アポロン』から『音楽』『医学』『予言』を また『アルテミス』から『狩猟』を学ぶ… 『ユピテル』は『追放』の際に 『キロン』に『天の座』を与えるに際し 『祭祀』が如何に『大切』であるかを主張している… 神々の父『ユピテル』は『コンクラーヴェ』の冒頭で 『キロン』について『否定的』な考えを述べた… 然し乍ら最後には… 『内陣』や『祭壇』や『礼拝堂』の保持する 必要不可欠な要素を認めている… 其れは何故か… 『祭祀』は『キロン』を崇拝することで 己の中に本来持っている 『レジリエンス』の次元を取り戻すからである… 『両義的』な『本性』が 『変容』の肯定的な過程を示すといふことは… 畢竟『キロン』と『イエス・キリスト』の 『密接な関係』が『明確』になるからである… 『イエス・キリスト』は『旧約・ユダヤ教』の系統ではないのだ… エジプト、アレキサンドリアの『エッセネ派』… 明らかに『グノーシス主義』であるからであり 『一般大衆』に対して『布教』する際に 『旧約・ユダヤ教』に『寄生』したからである… ( 2018.9.24[Mon]『キリスト教のハイアラーキー』・参照) 以下… 『ジョルダーノ・ブルーノ』著 『傲れる野獣の追放』より一部抜粋… (以下) ―――――――――――――――――― 私自身キロンに対して勝手なことを言ったとしても、 いまはそれを撤回しよう。そしてこう言おう。 ケンタウロス・キロンはまったき正義の人であり、 かつてペリア山に居を構え、その地でアスクレピウスに医学を、 ヘラクレスに天文学を、アキレウスにキタラを教え、 病人を治癒し、星辰へと登る道を示し、 妙音を奏でる弦を木に接続し、 それを弾く方法を教示したのだから、 天に座を占めるにふさわしい、と。 キロンが天の座にもっとも適任であることは、 この天の神殿においてキロンが司る祭壇には、 彼以外 に司祭がいないことからも判断できる。 そこにキロンは、いけにえの野獣を手に持ち、 献酒のための酒器を腰にぶらさげているのだ。 察増や内陣や礼拝堂は必要不可欠なものであり、 司祭なしにはそれらは無益なものであるのだから、 運命が他の決定を下さないかぎり、 キロンは永遠にそこで生き続けなければならない。 (中略) さて、野獣に移植されたこの人間、 あるいは人間に接ぎ木されたこの野獣を どうしたものでしょうか。 こいつの中では、一つの人格が二つの本質から成り立っており、 二つの実体が一つの仮説的統一へと合流しています。 そこでは二つのものが第三の存在を 成立させるために統一されており、 このことに関しては疑問の余地はありません。 むしろ難問は以下のことにあります。 すなわち、このような第三の存在は、 それを成立させる二つの部分、 あるいはそのうちの一つよりも優れたものなのか、 あるいは劣ったも のなのか、という難問です。 要するに、人間の存在に馬の存在が付け加えられたときに、 天の座にふさわしい神が生まれるのか、 家畜の群れや家畜小屋の中に入れられるに ふさわしい野獣が生まれるのか、という難問なの です。 結論を言うと、たしかに、イシスやユピテルや その他の卓越した神々 によって野獣であることについて 多くのことが語られて、人間が神であるためには、 野獣と共通点を持たなければならず、 人間が神の高みにあるこ とを示そうとするならば、 同程度ほどの野獣性を示さなければならないと言われています。 しかし、私はけっして、完全無欠の人間や 野獣が存在するかわりに、人間の一部と野獣の 一部しか存在しないところのほうがよい。 状態にあるとは、信じることができないのです。 それはちょうど、ズボンの一切れと上着の 一切れがあるところに、上着やズボンよりもすばらしい、 あるいはもっと美しい着物が生まれはしないのと同じことなのです。 ――――――――――――――――― 『シスター・クリスティーナ(Suor Cristina)』 『Like A Virgin』 https://www.youtube.com/watch?v=r0e8Uve7cJU 『Blessed Be Your Name』 https://www.youtube.com/watch?v=9zHDlobrdZ0 |
|
2019.3.11[Mon] |
『311から始動する』 |
掲載画像は… 我が母校『大川小学校』の『時計』… 『津波』到達時間で止まったまま… 『東日本大震災』から『八年』… わたしは、何ひとつ『言葉』が浮かばない… 本日リンクした動画に登場する人物は わたしの『ひとつ歳上』の先輩で… 昔、わたしは此の方に 大変に可愛がって貰ったのだ… 話を変えよふ… ほぼ、毎日のよふに綴ってきた『備忘録』… 何ひとつ『ジョルダーノ・ブルーノ』に 近づいた感覚はない… 故に、本日を持って 此の『備忘録』に一旦『休息』を与える… つまり、いよいよ『実制作』に 入ってゆく積もりなのだ… ( 2018.12.16[Sun]『三部の教え 其の十四』・参照) 明確なものは何ひとつないが 無心に『手』を動かすことに 『シフト』してゆこふと想ふのだ… 一体どのよふな『作品』が出来るのか解らぬが 『無意識』の境地に『身』を置く… また、話は変わり… わたしにとって一番の『関心事』は 『言葉』の問題、つまり『哲学』の問題である… 『哲学』は『無限宇宙』の『流動性』の中で われわれに『救いの道』を示し得る『羅針盤』であるからだ… 『明確な目標を設けずに四方八方に行動すること』 『真理から離れていること』 …という二重の『困難』に於ける不動の『拠り所』を 見出すことが可能になるからである… 『賢人』たちの『教説』によって守護された 静かな『見晴台』に立つことが可能になるのである… 故に『無知』で構わないのだ… 『暗闇』や『混乱』の中で『あがき乍ら』 己の『救助道具』を『認識(グノーシス)』の中に 見い出す『神的な人間たち』が求められているのである… ――――――――――――――――――― 『大川小学校』 https://www.youtube.com/watch?v=VHqttVm3fQE 『日出づる処』 https://www.youtube.com/watch?v=ur6I3WHxXwA 『阿修羅』 https://www.youtube.com/watch?v=WIU8CTn6VMg 『大空の侍』 https://www.youtube.com/watch?v=Nd8LvOUW97Q 『陸上自衛隊』 https://www.youtube.com/watch?v=0N26fofySZU 『日本国自衛隊』 https://www.youtube.com/watch?v=PsuDawPOb1U 『日本国自衛隊』 https://www.youtube.com/watch?v=jb47SqMY8GY 『ブルーインパルス』 https://www.youtube.com/watch?v=6atAJ3NFAcE&feature=youtu.be 『ブルーインパルス』 https://www.youtube.com/watch?v=1_fJJ9BvPVM |
|
2019.3.10[Sun] |
『記憶術』 |
『ジョルダーノ・ブルーノ』にとっての 『偶然性』に対する『概念』は 『運命(ヘイマルメネー)』に備わっている『性質』と 其の『可変性』を『根絶やし』にすることは無い… 故に『無限宇宙』の『有為変転』の秩序は『内的必然性』 畢竟『精神(魂)』によって『統制』されている… 『ジョルダーノ・ブルーノ』の『記憶術』が 此処で立ち上がってくるのだ… 其れは『記憶』を再発見して 我々の『歴史』の一時期を呼び起こそふとする場合に於いて つまり『今現在』から『離脱』することによって 先づ『過去』の或る『一領域』に己を『置き直す』といふ 独特な働きを『意識』するといふことである… この『営み』は、此の『無限宇宙』に存在する 全ての『生命』を持つものに関連付けられる… 其処に於いては 多様性が常に『己の基底』へと連れ帰させられ 自然が何者であるか(外的イマージュ)について 他者から区別する『概念の枠組み』の内部(内的イマージュ)で生じている… 『ユング』や『アンリ・ベルクソン』の『哲学』に 非常に近似しているよふに、わたしは想えるのだ… 異なった『アトムの集合』の誕生と死… 其れは『純粋持続』や『多様性』の内側に於いて 『魔術』の『共感』と『反感』の関係を同定してゆくのである… 『魔術』とは… われわれ『人間(アントローポス)』が 獲得し得る『可能性』其の物である… 『魔術』は『ポイマンドレース』の背後に立ち現れる 煌びやかな光によって、捉えることができる… 『嵐の中の大海原』に於いて 己の位置を定める唯一の方法は『一と多』 『必然性』と『自由』の間の『自覚』によってである… 此れぞまさに『ジョルダーノ・ブルーノ』の真理である… 以下… 『ジョルダーノ・ブルーノ』著 『傲れる野獣の追放』より一部抜粋… (以下) ―――――――――――――――――― ......[熊は)自分が自由でありこの場所を空けるかぎり、 好きなところへ行くがよいでしょう。 この場所はもっとも卓越した座であるので、 私はそこに「真理」が住居を構えることを望みます。 なぜならば、そこには誹謗の爪は届かず、 羨望の妬みは害を及ぼさず、 誤謬の暗闇は深まることはないからです。 そこで「真理」は、安定した堅固なものとして 屹立することでしょう。そして大波や風によって 乱されることはないでしょう。 そこで「真理」 は、この誤謬の嵐に満ちた海を さまよう者たちの安全な導き手となるでしょう。 そして観想の明瞭で清らかな鏡となることでしょう。 |
|
2019.3.9[Sat] |
『人間の生の形態』 |
『ジョルダーノ・ブルーノ』は 『万物』においてもっとも一般的で適切なイマージュは 『人間(アントローポス)の生の形態』である…と語っている… 其れは此の世に『生まれた瞬間』の弱々しさ… 『青年期』『成人期』『衰微期』 そして『死滅 』の総括のことである… 『松尾芭蕉』の 『もののみえたるひかり』と同様… 其処には『生』と呼称される 『段階』が存在しているのだ… 『人間(アントローポス)』は 『霊(モナド)』の各段階を 『純粋持続』の最中で通過する… 其の『瞬間』の煌めき… 奥行き、多様性… 『人間(アントローポス)』が 『蕪雑』な『競争』に『人生』を『浪費』し 『瞬間』を生きることを忘れがちなのは 一体、何故なのか… 常に『瞬間』を『抹消』して 『今日』といふ日を失ふ… 『ジョルダーノ・ブルーノ』は 其処に着眼しているのである… ------------------------------- 『インフェルノ(Inferno)』 https://www.youtube.com/watch?v=UWRsfYrJiXc |
|
2019.3.8[Fri] |
『古代エジプト信奉』 |
『芸術』とは常に 『意志』を『発揮』することに他ならない… 強い『意志』を持つ者は 此れで際立っているのだが… どのよふなことでも起こりうる この移り変わりの激しい世の中で 『人間(アントローポス)』は其れによって 必ず『認識(グノーシス)』に至ることができるのだ… 『意志』の強い人の特徴は全てに於いて 自分の『痕跡』を残してゆく… 実は、此の『意志の強さ』は 想っているほど『特別なこと』ではないのだ… 例えるならば… 『人間(アントローポス)』が着る『衣服』と同じで 『シワ』という『痕跡』は其の人の身体や動きに 合わせてできるということなのだ… 此の世の中は 自ら求めようとしない人には 何も与えてくれないのである… さて、本題に入る… 『ジョルダーノ・ブルーノ』の思想には 多分に『古代エジプト文明』の名残りが見て取れる… 其の賛辞は『ジョルダーノ・ブルーノ』の ナイル土壌の豊饒の女神『イシス信仰』に見受けられる… 女神『イシス』はまた 『魔術の女神』の性格も持ち合わせている… 『古代エジプト人』は『自然の神性』を崇めていた… 『ジョルダーノ・ブルーノ』は『古代エジプト』の宗教を擁護する為に 『人間(アントローポス)』の実存を哲学の中心に置き乍ら 其れに共通する自然の構造『黄道十二宮』を主張している… そして『古代エジプト』の宗教を『誹謗中傷』する者たちは 『神性』が欠けていることを見抜いているのだ… 『神性』は此の世界に於いて『微小』なものにまで存在し 各々の『能力』に応じて『展開』し『伝達』する… 『イデアの影』無しに 我々は『存在』し得ないといふことなのだ… ( 2018.11.29[Thu]『ジョルダーノ・ブルーノの形而上学』・参照) |
|
2019.3.7[Thu] |
『陸沈』 |
最近『雨』の日が続く… 『洗濯日和』が少ない… さて、昨日『陸沈』について触れたが 此れは『世俗』の中に生き乍ら『世俗』を『超越』することである… 言い換えれば『隠匿生活』其のもの… われわれ『人類』は、多忙な日々に於いて 常に『膨大な情報』に押し流され『浮遊』している… 然し乍ら、其れとは別に 己自身との『対話』が必要不可欠なのだ… 『精神』の奥底に沈んでゆく『行為』の 重要性に気づき、日々『実践』すること… 其れが『陸沈』に至る唯一の方法である… 『空漠』と『今現在』を生きているだけでは 『絶対の叡智』は『認識(グノーシス)』不可… 過去の偉大な『賢者』の『魂』に触れ 『時代』を『超越』した繋がりを持つこと… 彼らとの『対話』が『人類史上最強』の 『認識(グノーシス)』を獲得するのである… 『任務』は重く『道』は果てしもなく遠いのだ… 『ロバ性』の重要性が此処にある… 故に『無知』『狂人』『愚か』で良いのだ… 其処に『真実在』は存在している… 此の『備忘録』は畢竟、わたしの 『ブレスト』でもあるのだ… わたしは『潰されない』 わたしは『打たれ強い』 わたしは『凹まない』… 其のよふに、念ずれば良いのである… むしろ『頭』は 『空っぽ』ぐらいが丁度、良い… 『空っぽ』であれば 何も『漏れない』からである… 此れは現代の『情報過多』の『比喩』である… さて、本題へ… 『ジョルダーノ・ブルーノ』著 『傲れる野獣の追放』の文中に於いて… 『ソフィア』が、非常に困惑する場面がある… 『至高の領域』から『転落』した 此の『知の女神』によって成された此の『物質世界』… 『グノーシス主義』で云ふなれば『悪の世界』であり 我々『人間(アントローポス)』が住まふ世界である… 『メルクリウス』は『ソフィア』の困惑に対して 『宇宙の成り立ち』を取り上げて、なだめている… 其れはまさに 『ヘルメス・トリスメギストス』の世界… 『絶対の叡智ポイマンドーレース』が 『人間(アントローポス)』を自らの 『子』として愛した所以である… ( 2019.1.19[Sat]『ヘルメス文書(ポイマンドレース:著/全文)』) 『ジョルダーノ・ブルーノ』著 『傲れる野獣の追放』より一部抜粋… (以下) ―――――――――――――――――――― しかし、ソフィアよ、 もしもあなたがたいへん小さなものは たいへん大きなものほど 配慮されていないと思うならば、それは間違いです。 というのも、たいへん大きな主要なものは たいへん小さく卑しいものなしには存在しないからです。 それゆえに、すべてはいかに小さくとも、 無限に大きな摂理のもとにあるのです。 いかなる卑しい細部といえども、 全体の秩序の中ではたいへん重要です。 なぜならば、大きなものは小さなものから、 小さなものはたいへん小さなものから、 たいへん小さなものは個々の最小者 から成り立っているからです。 私は偉大な実体についてこのように考えま すが、 偉大な効能や偉大な結果に関しても同様です。 ――――――――――――――――――― 『日本国自衛隊』 https://www.youtube.com/watch?v=jb47SqMY8GY |
|
2019.3.6[Wed] |
『メルクリウスによる破壊』 |
掲載画像は過去に開催した『個展』… 『アルベルチーヌの置き手紙に隠された秘籥の嘘』 (観念の黒い影の不在 ― トゥーレーヌで息絶えた細かな真実の断片と嘘の事実の無数の錯綜) …のフライヤー… 『マルセル・プルースト』著の長編小説 『失われた時を求めて』に 着眼した時のものである… ( 2010.12.6[Mon]「アルベルチーヌへの想い」・参照) さて、本題に入る前にひとつ… 日々、綴る此の『備忘録』は 『沈黙の世界の中』での『己自身』との出逢い… 『精神』の深いところへ沈み込む『儀式』である… 其れと同時に 『陸沈者』といふ言葉が『脳裏』をよぎる… 其のよふなことを『意識』し出す『年齢』に 差し掛かって来たのだろふか… 然し乍ら『陸沈者』になるのは 非常に難しかいことだと想うのだ… さて本題へ… 『ジョルダーノ・ブルーノ』著 『傲れる野獣の追放』の文中には 『ジョルダーノ・ブルーノ』特有の 『摂理の概念』が見受けられる… ( 2019.3.1[Fri]『禅』・参照) 『トマス・アクィナス』の影響を 大きく受けていた『ジョルダーノ・ブルーノ』は 『キリスト正統派』の信仰に満足できずに 『ナポリ』の『ノラ』を出て『放浪の旅』を続けた… 『世界の平和』の為に 『闘ふこと』を怖れなかった『ジョルダーノ・ブルーノ』は 其の『放浪の旅』の中で当時の『ルター派』 『プロテスタントのカルヴァン派』と 『論争』を起こし『決別』する… それは何故か… 『ルター派』は、社会生活に対する取り組みに於いて 個人的で内的な『罪や過失』などを『赦す』為に 『悪』に対して 『静観の態度』『敗北主義』であったからであり… 『プロテスタントのカルヴァン派』は『道徳』との取り組みに 『尻込み』することを克服しようとすることに躍起で 新たな『道徳主義』の『強制』を行っていたからである… つまり『ジョルダーノ・ブルーノ』は 『運命の髪』を掴む為には 『人間(アントローポス)』の『人生』を 極めて細かく『鳥瞰』する必要性を強調しているのである… 彼の著書『傲れる野獣の追放』は 一見すると『寓話(おとぎ話)』なのであ るが 其の『行間』の『真相』は『特殊な宇宙論』へと 必然的に至るのである… 其処では『メルクリウス』の存在が 大きな力を発揮する… 『ジョルダーノ・ブルーノ』は 其の『不可視』な『メルクリウス』に於いて 『ルター派』や『プロテスタントのカルヴァン派』の あらゆる『ハイアラーキー』と『誤った思想』を『破壊』したのである… ------------------------------------------ 『ROMA』 https://www.youtube.com/watch?v=r24mSpQX6Fs |
|
2019.3.5[Tue] |
『 S・P・Q・R 』 |
初代『ロムルス』から 七代にわたって王政が続く… いわゆる『王政期』である… 『ローマ人』と『サビニ人』が 交互に『王位』に就任した『専制政治』… 然し乍ら『王政期』の後半になると 『エトルリア人』が『王位』に就任… 『エトルリア』は『ローマ』北に位置する 現在の『トスカーナ地方』と呼称されている地域である… 『エトルリア人』が『王位』に就任した理由としては… 『エトルリア人』が『イタリア半島』に いち早く住み着いた『民族』であり 『先進文化』を保持していた為 其の『圧迫』があったといふ『説』… そして『先進文化』に対しての 『期待』があったといふ『説』がある… 然し乍ら、第七代の王『タルクィニウス(紀元前535年 - 紀元前509年)』の 『建設工事』での『酷使』による『民衆の不満』と 『タルクィニウス』の息子『セクストゥス』が起こした事件で 『エトルリア系の王』に対する不満が爆発… 『ルキウス・ユニウス・ブルトゥス』が中心となり 『王家一族の追放』を決議するに至るのだ… そして『ローマ』は 『王』という名の『独裁者』による『専制政治』を放棄し 其の代わりに『市民を主権者』とする政体『共和政』を打ち立てたのである… 『共和制』とは 『民会』『元老院』『政務官』の『三者』に拠るもの… 任期も一年といふ極く短い期間とし 『反独裁のための制度』を確立… 『ローマ人』の『支配』されることを『嫌悪』した 『自由』に対する思想が、此処にも見て取れるのである… 『古代社会』に於いて『自由』と云ふものは 『現代』のよふに当たり前のものではない… 『ハイアラーキー社会』が 当たり前の『時代』だったのである… 此処に『ローマ人』の『先進的』な思想がある… 『ローマ人』に於ける『 S・P・Q・R(セナートゥス・ポプルスクェ・ローマーヌス) 』と呼称されるものである… 『 S・P・Q・R 』は… 『Senatus Populusque Romanus』の略称であり 『ローマの元老院と民衆』の意味… 畢竟、主権者は… 『元老院』と『民衆』といふ『二つの身分』… 是等の思想は『ローマ』が『共和政時代』から『帝政時代』に移行しても 『 S・P・Q・R 』は、其のまま保持される… 『 S・P・Q・R 』に『皇帝』を意味する 『 Imperator』の頭文字の『 I 』は、決して入らないのだ…… 『皇帝』関連記事は 5年程前のもの(以下)… ( 2014.5.1[Thu]『歴史を見つめ直すこと』・参照) 『ローマ人』は『貴族』であっても『平民』であっても (身分階級の差異はあれども…) 己自身が『自由』であることを誇りに想っていたのだ… そして『ローマ人』は『土地』に対して 強い『執着』を持っていた… 畢竟『ゲニウス・ロキ』である… ( 2018.10.25[Thu]『ゲニウス・ロキ』・参照) それは、其の当時の『ローマ人』の『軍事組織』の 『密集隊形』の『戦法』が、其れを現しているのだ… 『連帯感』や『団結心』は元より 『個としての自由』と『全体の利益』を尊重するといふ 非常にバランスの取れた貴重な『意識』が育まれたのである… 勇ましく闘う『戦士』の英雄を讃えつつも 決して『独裁』は許さない… 『故国のために尽くすこと』は『ローマ人』にとって 何よりも『名誉』なことだったのである… 話は逸れるが… 『独裁』を『追放』したのは 『ローマ』も『ギリシャ』も同時期である… 『ローマ』の『共和制』に対し 『ギリシャ』は『民主制』を確立… 歴史的にも、圧倒的に『ギリシャ』の 『民主制』確立の方が素早かったのだ… 『ギリシャ』の『民主制』は 約30年間で確立したのに対して… 『ローマ』は『共和制』確立に 約300年の歳月をかけている… 然し乍ら『ギリシャ』は其の後『衰退』して終い 『ローマ』は『繁栄』したのだ… 『ギリシャ』の、あの有名な 『ドーリス人』による都市国家『スパルタ(Spártā)』も 現在では『残骸』しか残っていないのだ… さて、また明日より『ジョルダーノ・ブルーノ』へと 話を戻すことにする… 本日の『備忘録』の続きは また気が向いたら… ―――――――――――――――――――― 『ROMA』 https://www.youtube.com/watch?v=1g7TrcIlpMk&frags=pl%2Cwn |
|
2019.3.4[Mon] |
『サビニ女の略奪』 |
『ローマ建国記念日』は 紀元前753年『4月21日』… 『イエス・キリスト』誕生より 遥かに昔のことである… 初期の『ローマ建国神話』は 非常に『美化』されて語り継がれているが… 実際には『暴力』と『略奪』の 『野蛮』なものであったと言われている… 時代を遡れば遡るほど、其の傾向が強くなるのだ… 哲学者『ヘーゲル』も、此の事について言及している… 其の中でも有名な『逸話』が 『サビニ女の略奪(Ratto delle Sabine)』である… 実際の建国期の『ローマ構成員』は 周辺諸国からの『亡命者』や 『生まれ故郷から遁走した者』 『奴隷』などで、其の殆どが男性… 『ローマ』は、女性が少なく 子供の数が増えない為『人口』が減少… 『国家存亡の危機』を迎えるにあたり 『ローマ』を建国した『ロムルス王』が決行したのが 『ローマ』近郊の国『サビニ』から 女性を『略奪』することであったのだ… 『サビニ』は『ローマ』に復讐を誓い やがて両国は『戦争』に発展… 然し乍ら、此の『戦争』を止めたのが 『ローマ人』に略奪された『サビニの女性たち』なのだ… 『サビニの女性たち』は『戦争』による 『サビニ』と『ローマ』の両方の『犠牲』を望まず 『和平』をもたらしたのである… 後に『サビニ』と『ローマ』は統合… 此れは、あくまで『神話』なので 何処までが『真実』なのかは分からない… 然し乍ら『暴力』と『略奪』は 現代に於いても『世界中』で起きている… つまり、見えぬ処での『強制移住』である… |
|
2019.3.3[Sun] |
『イタリアに於ける〈生〉とは』 |
『ジョルダーノ・ブルーノ』を語る上に於いて 『イタリア』の『生』に関する思想に 触れない訳にはいかない… 故に、本日から数日間は 少しばかり『話』は『脱線』する… さて『イタリア』に於ける『政治』とは 『法制度』を『外的』に制定するのみに留まらず 『法制度』を『倫理』として『個人の内的意識レベル』まで 『浸透』させ『展開』を遂げてきた… 其れには、簡単には説明出来ない『事情』がある… イタリアの思想では『生』といふものが 『伝統的』に『中心』を成してきたからだ… 『ジョルダーノ・ブルーノ』や 『ニッコロ・マキアヴェッリ』の存在は まさに、其れを『象徴』している… 此処に『イタリア』といふ国の『特殊性』があるのだ… 『イタリア』といふ『国家』は、19世紀に起こった 『イタリア統一運動(リソルジメント)』によって『誕生』した… 其れ以前は… 北には多くの『都市国家』が『都市同盟』を結成し 中部には『ローマ教皇』の存在があり 南は『ナポリ』や『シチリア』に『王国』が存続していた… 其れらの『葛藤』や『駆け引き』に 『イタリア』の思考は『国民国家』という枠組みは無く その『外側』で展開されてきたからである… 故に『イタリア』に於ける『哲学』は… 『国家』の形成に『パラレル(並行)』ではなかった… 『イタリア統一運動(リソルジメント)』以降の 『現在』に於いても其れは変わらないのである… 故に『イタリア』の思想は『デカルト』や『カント』のよふな 抽象的な『哲学』からは逸れて、歩みを進めて来たといふことなのだ… 『イタリア』の思想は 『政治的』かつ『歴史的』な『生の現実』なのだ… 『具体的な姿』を『探求』してきたのである… 畢竟『流動性』や『葛藤』や『変化』を 喜んで『迎え入れる態度』に満ち溢れているのである… 特に『ジョルダーノ・ブルーノ』の 『故郷』である『ナポリ』は『共同体生活』の 『傾向』が強いよふであるし… 『ヘルメス・トリスメギストス』や 『ヘレニク・グノーシス主義』などの 『混淆文化』に於ける『魔術』を『受容』したことに拠り 『ルネッサンス』が『開花』したといふことも 充分に『合点』がいくのである… 『ジョルダーノ・ブルーノ』が遺した『功績』の『背景』には 其のよふな『事情』があったのであり 且つ、突き抜けた『生の哲学』であったが故 『火刑』されたのである… 因みに『日本』と『ドイツ』も 『イタリア』と同時期に『近代的国民国家』への歩みに着手… 『日本』に於いては『明治維新』によって 『大日本帝国』という『国民国家』が成立したのである… そして… 此れは、わたしの勝手な『直感』であるが 『ジョルダーノ・ブルーノ』と『吉田松陰』は 『狂人的』なところが何処と無く似ているな…と想ふのだ… ――――――――――――――――――――― 『ROMA』 https://www.youtube.com/watch?v=p_e3yWI_NHA&frags=wn |
|
2019.3.2[Sat] |
『小休止』 |
掲載画像は 『航空自衛隊』の『F-2戦闘機』が 『次期支援戦闘機』として 『試験』を行なっていた際の 『XF-2(モックアップ)』である… 『四方八方』から眺めると 如何ともし難い想いに駆られるのだ… さて、此れは わたしに於いては たまにあることなので 気にも留めぬが… 本日は『聴覚過敏』が酷かった… 故に『Taylor Deupree』と『坂本龍一』の コラボ・アルバム 『Disappearance』を聴きながら『小休止』… だいぶ良くなった… そして… 『ジョルダーノ・ブルーノ』についての 『和歌(破調)』を詠む… (以下) 炎燃ゆる花広場 匂ふがごとし あくがれて眺めゐたり 嘆かしき心のうちも 何事なりともあきらめ申さん そのひとげ ところどころ語るを聞くに いとどゆかしさまされど ――――――――――――――――――― (以下、現代語訳) 炎が燃える花広場は 美しく照り輝くよふであり ぼんやりと眺めていた 悲観に暮れている心の中をも 何事であろふとも明らかに申し上げましょう その人の気配をところどころ語るのを聞くと ますます見たいという想いが募るのだが ※花広場=カンポ・デ・フィオーリ広場 |
|
2019.3.1[Fri] |
『禅』 |
本日は、割と『暇』な『時間』を過ごしていた… わたしは日々『備忘録』を綴っており 『仮初め』の『生』を思考している訳だが 然し乍ら、此れは『逆説的』な言い方をすれば 『時には何もしないこと』が 『瞬間』を生きることだと、同時に感じてもいる… 『行動』を超越した『無為』 此れは非常に難しいこと… 只々『存在』することのみに 『自己集中』することである… 『思考回路』を一切『停止』すること… 『霊(モナド)』を吹き込まれる前の 『アダム』のよふに『ロボット』になることである… 静かに黙って、其の『場』 其の『瞬間』に浸かってみる… 『生きながら』にして 『死』のよふな状態とでも言おふか… 己といふ『イマージュの外側の光景』に ひたすら視界を開き、音に聴き入ること… 今現在といふ『瞬間』が凝集した 満ち足りた『至高体験(peak experience)』のことである… 『空』に『雲』が流れ行く様や『小鳥』の囁きに 何と豪奢な『一場面』があることか… 其れが『禅』… 我々『人間(アントローポス)』は 此の世界に於いて『言葉』を持ち 『地球』や『宇宙』の存在 そして其の『果ての世界』にも 『思考』を巡らす… 其れが、あまりにも 『当たり前』のことであり『麻痺』しているのだ… 『犬』や『猫』などは ただ刻一刻、『其の時』や『其の場』に存在しており 『宇宙創生』など知る由もない… 『植物』も黙って『其の時』や『其の場』に佇み 『無為』に生きているのである… ( 2019.2.11[Mon]『植物の超神秘的感覚的世界』・参照) 『奇異』なのは我々 『人間(アントローポス)』の方である… ----------------------------- 君見ずや 絶学無為の閑道人 妄想を除かず真を求めず 無明の実性即仏性 幻化の空身即法身 (永嘉玄覚禅師) ----------------------------- ※絶学=道を学んで学び尽くし、無功用の境地にいたった者 ※無為=分別意識を離れ、あるがままで作為の無い妙用の境地 ※閑道人=一切の相対的見地や思慮分別を離れ、求めるところが無い人 ※無明=物事の道理に暗く、心の霊妙性を失うこと ※幻化の空身=幻が変化したような空しい身体 ※法身=我々の真の自己。法身仏、報身仏、化身仏の三身仏 故に、我々『人間(アントローポス)』も 此の世に『誕生』した以上 黙って『存在』しているだけで 既に『完成』しているのである… 『存在する人間(アントローポス)』は 『human beling』であり 『行動する人間(アントローポス)』は 『human doing』なのだ… あくせく『働いて』いることは 『逆説的』に『仮初め』の『生』から 遠のいて終ふのである… さて『ジョルダーノ・ブルーノ』へと 話を移行しよふ… 彼の語る『肯定的ロバ性の降臨』へと… 『アクタイオンの死』は奥深き『不可視の領域』 すなわち、全面的に己の支配下に統治できない 事物の『至高領域』への接近によって 具体的なものになり『結末』を迎える… 『万物の恒常性』としての『神的な人間』 つまりは『本来的自己』を獲得した者は『理性』の使用を通じて 『知的な生』へと自らを高めることが可能になるのである… 其れは言わずもがな『自然との調和』であり 『認識(グノーシス)』の過程は『神化』の過程と同一… 『欲』抜きに見ることは不可能である… 愛の企ての対象を獲得した『アクタイオン』は 『真理』の中に存在している… 普通の『人間(アントローポス)』として 常に存在する『神性』… 言い換えれば『霊(モナド)』を保持する『人間の知性』 其れによる『対象』への『狩猟』によって明瞭になるのである… 『ジョルダーノ・ブルーノ』は 『神性と世界との廃絶』を平らにする… 神は『万物』を生み出す『質料(ヒュレー)』と同一視される… あらゆるものに『生』を与える… 畢竟『イデアの影』である… 光満ちあふれる『至高領域』に存在する『神々』の『影』が 『物質世界』へと投射されているのだ… 『肯定的ロバ性』たちは『傲れる野獣の追放』の中に於いて 美しいページに言及するのだ… 其れは『メルクリウス』が 世界にて『配慮』されることを意味している… 『肯定的ロバ性』たちが、此の世の ありとあらゆる仕事に『従事』するために 『ユピテル』の命を受けて『地上』に『降臨』するのである… 『ジョルダーノ・ブルーノ』著 『傲れる野獣の追放』より、一部抜粋… (以下) ------------------------------- ユピテルの命によれば、今日の正午に他の事とともに 2個のメロンがフランツィーノの メロン園で完全に熟しますが、収穫されません。 それらは3 日後に収穫されますが、 その時には食べるに適さないものと判断されることになります。 ユピテルの望むところによれば、同じ時間に、 チカラ山の麓のジョアン・ブルーノの家のナツメの木から、 30のナツメが完全に収穫され、17が揺すられて落ち、 15が虫に食われることになります。 また、アルベンツィオの妻ヴェスタが こめかみの髪をカールする際、鉄を熱くしすぎたために、 55の髪の毛を燃やすことになります。 しかし、頭に火傷はせず、 今回は燃える匂いを嗅いでも罵詈雑言を吐かず、 我慢することになります。 ラウレンツァが髪に飾をかけると 髪の毛が17本落ち、13本がダ メージを受けますが、 10本は3日のうちに再び生えるが、 7本は戻らないことになります。 アントニオ・サヴォリーノの雌犬は5匹の子犬を生みますが、 3匹は生き残り、2匹は捨てられることになります。 3匹のうち1匹目は 母に似、2匹目はぶちであり、 3匹目は部分的に父に似、部分的にポリドーロの犬に似ます。 ダネーゼ親方がテーブルの上で切っているスカートは駄目になるでしょう。 コスタンティーノのベッドの板から12匹の南京 虫が生まれ、 長まくらへと移動することになります。 その中の7匹は大きく、4匹は小さく、 1匹は中ぐらいの大きさになります。 これらがどうなるかについては、 今夜ろうそくの灯火のもとで議論されることになります。 この時間から15分後にフィルロ婆さんは、 舌を口蓋の回りに4回回転した際に、 舌の動きによって右の下あごの 3番目の臼歯を失うことになります。 このことは痛みも出血も伴いませんが、 その理由は、この臼歯がちょうど 月の回転からなる年の17年を経過して 自らの寿命に達したからです。 アンブロッジョは112回目の突きの後に放出し、 妻との仕事を終えますが、 今回は彼女を妊娠させることがありません。 妊娠は別の機会に、彼が肉汁とキビのパンとともに 食べたゆでたネギからできた精子によって生じることになります。 マルティネッロの息子の胸には大人の毛が生え、 同時に 声変りが生じることになります。 ------------------------------- 『坂本龍一』 『3-3 Light/LIFE』 https://www.youtube.com/watch?v=RqlItqLTseQ |
|
|
|
Powered by HL-imgdiary Ver.3.03 |